ヴィヴァルディ フルート協奏曲 ニ長調「ごしきひわ」Op.10-3 RV428
先日書いた、ストラヴィンスキーが「ヴィヴァルディは過大評価されている」と発言した件について少し調べた記事が大変ご好評いただきありがたいのと同時に、なんかヴィヴァルディに申し訳無い気持ちも湧いてきたので、罪滅ぼしとしてヴィヴァルディで更新することにする。僕はこうしてちゃんとフォローができる、良識ある大人なんだぞとアピールしておこう。
なぜこの比較的有名で人気も高いフルート協奏曲「ごしきひわ」を取り上げるのかというと、ナクソス・ジャパンがYou Tubeに上げている「高級ホテルのクラシック」というBGM動画にこの曲の2楽章が入っていたからである。動画説明には「優雅なエントランス、スタイリッシュなラウンジ、くつろぎのスイートルーム。……憧れのホテルライフ気分を味わえる、上質で洗練されたクラシック音楽を集めた動画です」とある。ホテル代金はどこも高騰し貧乏人には手が届かないけど、このBGMのおかげでいつでも金持ち気分を味わえちゃうね。クラシックってなんて素晴らしいんでしょう!
冗談はさておき、このBGM集の1曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番の2楽章。わかる。特に独奏ピアノが入ってくると非常にラウンジっぽい。弦楽とピアノの組み合わせ、ロマンティックな曲調、実にそれらしい。これは納得するものの、次に流れるのがヴィヴァルディの「ごしきひわ」の2楽章。まあ、協奏曲の緩徐楽章であれば大体は寛ぎの場に似合うけれども、個人的にはちょっと高級ホテルって感じじゃないなあと思ってしまったのだ。まるで僕が高級ホテルに詳しいような物言いで、我ながら虚しくなる(皆さんがご支援くだされば僕だって高級ホテルに行きまくるんですけど!)、しかしヴィヴァルディのこの曲はもっと、自然に目を向けさせるような音楽である。どうしても高級ホテルだと言うなら、大都市のホテルのナイト・ラウンジではなく、自然豊かな場所にあるホテルでベランダから明け方の景色でも眺める時間であれば似合いそうだ。
それだって演奏にもよる。ストラヴィンスキーはヴィヴァルディの協奏曲が同じ形式ばかりだと批判しているだけでなく、もっと古いヴェネツィア楽派の音楽の復興についても演奏の仕方が悪いと批判していたが、こういう時代の音楽は演奏によって全く別物かと思うくらい変わるものだ。多分ナクソスの「高級ホテルのクラシック」は自前レーベルの録音、ベーラ・ドラホシュ独奏、ニコラウス・エステルハージ・シンフォニアの演奏を用いているだろうが、例えばイル・ジャルディーノ・アルモニコの録音を流したらどうなることか。ジョヴァンニ・アントニーニがソプラニーノリコーダーで演奏する、より小さい編成の演奏である。高級ホテルの優雅なエントランスでもスタイリッシュなラウンジでもくつろぎのスイートルームでも、僕はどう考えても合わないと思うし、宿泊客から「雰囲気にそぐわない」とクレームが来そうだ。僕がBGM担当だったら平謝りしつつ、そのまま他の曲まで全て流し続けてやろう、ふふふ……。
VIVALDI: Flute Concertos, Vol. 2
ベーラ・ドラホシュ
Vivaldi: Concerti Da Camera Vol.1-4
Giovanni Antonini
さて、ヴィヴァルディが書いた協奏曲は500曲とも600曲とも言われるくらい大量にあるが、そもそもなぜこんなに沢山書いたのだろう。もちろん人気で需要があったという事情もあるが、ヴィヴァルディが音楽教師/音楽監督を務めていたヴェネツィアのピエタ慈善院との関係も大きい。1346年設立の歴史あるキリスト教孤児院であり、男子は職業訓練などを受けさせて自立させたが、女子は結婚しないと出ることができず、実際に結婚して出られる女子は少なかったそうで、多くの成人女性は手工芸などで僅かな生活費を得ていた。だが、その女子の中で音楽ができる者はLe figlie di Choro(合奏の娘たち)と呼ばれる合奏・合唱団として活動することができた。ヴィヴァルディはそこで指導にあたり、彼の指導によって合奏団の技術は飛躍的に向上したと言われている。非常に評判が良く、礼拝などの他に演奏会も開催できるほどで、その演奏の収入で僅かな金額しか得られなかった他の女性たちの分まで稼ぐほどだったという。多くの楽器が揃っていたこともあり、作曲家たちにとってはオーケストラの実験室のような場所でもあった。ヴィヴァルディも多くの知識やインスピレーションを得て、その女子たちが演奏することを想定した多くの曲を作曲したのである。任期中はもちろんのこと、音楽監督の職を離れる際にも「月に2曲の協奏曲を提供する」という契約を結んだほど、ピエタ慈善院にとって欠かせない人材であった。音楽監督や演奏指導、楽曲提供など、様々な形でピエタ慈善院との関係はほぼ生涯続き、はっきりした数は不明だがピエタ慈善院のために書いた協奏曲だけでも200曲弱はあるそうである。もちろん仕事なので報酬は得ているけれども、まことに徳の高い殊勝な行いに違いない。やれ「同じ形式を何度も繰り返し作曲できる退屈な男」だとか「同じ協奏曲を500回書いた」とか言って馬鹿にするストラヴィンスキーくんには、ぜひ、しっかり反省をしていただきたい。
このブログは2008年7月に始めて、ゆっくりと書き続け今は500曲以上の楽曲紹介記事があるが(ヴィヴァルディの協奏曲の数といい勝負だ)、ブログを始めたばかりの頃、2008年8月にヴィヴァルディのリコーダー協奏曲について書いている。このブログでは9番目に紹介した曲だ。昔なので尚のこと大した文章ではないが、興味のある方はそちらも読んでみてください。
オーボエやファゴットの協奏曲であれば、ヴィヴァルディはイタリア・バロックにおける先駆者だが、フルートに関しては遅い方である。18世紀初頭にはもう新しい楽器であるフラウト・トラヴェルソがリコーダーに取って代わったが、ヴィヴァルディが6曲のフルート協奏曲集Op.10を書いたのは1729年頃。既にイタリアでもフルート協奏曲を書いた作曲家がいたが、やはり皆ヴィヴァルディの曲を欲したのだろう。この協奏曲集はピエタ慈善院のためではなくアムステルダムの出版社ル・セーヌの依頼であり、リコーダーではプロ受けが悪いからフラウト・トラヴェルソの曲にしたとか、出版の慣例で6曲セットにするために過去作の編曲を多く入れたとか、急いで作業したからヴィヴァルディも出版社側も不手際が多くて楽譜も間違いばかりだったとか、当時の色んなエピソードを見るにつけ、だいぶ勢いだけで出来上がった感じも伝わる。それでも、当時も大人気だったし、今もなお愛されて沢山演奏されるというのは、それだけ良い曲だからに他ならない。
6曲の協奏曲集Op.10の第3曲(RV428)である「ごしきひわ」(Il Cardellino)も過去の作品の編曲で、原曲は室内協奏曲RV90、フルート、オーボエ、ファゴット、ヴァイオリンと通奏低音という編成。「ごしきひわ」は鳥の名前である。あまり日本人にはポピュラーではないと思うが、ヨーロッパ、特にキリスト教絵画などでは、受難の象徴とされるアザミの種子を食べる鳥ということもありしばしば登場する。1楽章は印象的なトゥッティと鳥の声を模倣したフルートが交互に現れるリトルネッロ形式。有名な「四季」の春と同じ形式で、形式だけでなくフレーズまでよく似ているから、まあ同じ協奏曲だと言われても仕方ない。そもそも過去の使い回しなのはどうしたって否定できない。でも、似ているから、同じだから、それが何だって話。2楽章はラルゴ・カンタービレ、美しいシチリアーナ。フルートと通奏低音のみで、高級ホテルのような豪華さはないが、素朴で美しい。3楽章アレグロ、ヴィヴァルディらしい明るさに満ちている。光あふれる空、天駆ける五色鶸。
鳥の声を模した音楽はいくらでもある。メシアンは確かに凄いが、彼ばかり有難がっていたらバロックの作曲家から笑われそうなくらい、大勢の作曲家が残している。そんな多くの「鳥にまつわる音楽」がある中で、また似たような数百のヴィヴァルディの協奏曲がある中で、とりわけ愛される曲として残ってきたこの「ごしきひわ」には、それなりの敬意を示すべきだろう。やはり何か、捨てるべきではない大事なものがあるのだ、この音楽には。
ヴィヴァルディがピエタ慈善院の音楽教師になったのが1703年。1707年の合奏団の名簿には既にフラウト・トラヴェルソを吹く女子が記録されており、ヴィヴァルディがそこで学び得たこともこれらの協奏曲に活かされただろう。なお、ピエタ慈善院があった場所は、今はピエタの教会と5つ星ホテル「ホテル・メトロポール・ヴェネツィア」になっているそうだ。うーん、やっぱりナクソス・ジャパンの言う通り、ヴィヴァルディは「高級ホテルのクラシック」なのかもしれない。教会とホテルの建物の一部では今も児童支援NPOが活動しているとのこと。孤児院でも高級ホテルでも愛される作曲家ヴィヴァルディ。そんな人、他にいるかしら。これはとても退屈な男だなんて言えないなあ。
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more