ハッチ 和声と創意への試み:この世の全てをそこに置いてきた

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ハッチ 和声と創意への試み


前回はヴィヴァルディの記事。ヴィヴァルディを取り上げたのは十数年ぶりだった。さすがにそのくらい経つと自分の中でも変化した部分が多いし、もっと色々書きたいとも思ったが、このブログでは滅多なことでもないと連続で同じ作曲家を取り上げてこなかったのでヴィヴァルディ連続はパス。代わりに、ではないが、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集と同じタイトルを用いたコンテンポラリー作品を取り上げよう。ヴィヴァルディの「和声と創意への試み」は最も有名な「四季」を含む12曲のヴァイオリン協奏曲集である。カナダの作曲家、ピーター・ハッチ(1957-)は同じタイトルを付けた弦楽八重奏曲を2000年に作曲した。このタイトルを持つ曲は他にもありそうだけど、意外と見当たらないものだ。

本題に行く前に、前回のフルート協奏曲の話の続きをしたい。Twitterの方で少し書いた通り、ヴィヴァルディのフルート(リコーダー)協奏曲はOp.10の6曲が最も有名で、他にもあるものの数自体は他の協奏曲より少なめである。もっと色々吹きたいリコーダー奏者はいる訳で、例えばボレッテ・ロズは豊富にあるヴァイオリン協奏曲をリコーダー用に編曲して演奏、録音した。彼女は四季を含むヴァイオリン協奏曲を取り上げており、リコーダーに合うもの合わないものと色々あって面白い。特に「かっこう」RV335なんかはヴァイオリンよりもリコーダーの方が元祖なのではないかと思わせるほどのベストマッチ。ただ、「秋」や「冬」などを聴くと、やっぱりヴァイオリンが合うよなと思うことも。もしかするとヴィヴァルディの時代から、そのように各々が自分の楽器用に編曲して吹いていたかもしれないし、ロズの演奏は興味深い探求である。

Vivaldi’s Seasons: Four Seasons and other concertos
Bolette Roed & Arte Dei Suonatori


ロズはヴィヴァルディの協奏曲の多くが「四季」のテーマに合致することに気づいた、と語る。全ての曲に暗く苦しい瞬間と美しく希望に満ちた瞬間が含まれていることに気づいたら、四季に合う曲を探そうと思うようになった、と。もちろんこれは彼女自身の個人的な感覚であることは自身でも触れているし、聴き手の自由なストーリーや感情を想像してほしいとも語っているが、ロズの言っていることもわかる。
ヴィヴァルディの協奏曲は、音楽で何か「他のもの」を語っているように聴こえるものが多い。ある意味「四季」はその究極だ。「四季」以外の曲も、「ごしきひわ」や「海の嵐」など直接的なタイトルがあってもなくても、あらゆる自然の様子や、人間の感情や物語を乗せることができるし、そもそも世界中の多くの事物は四季に添えることができるのだから、四季に似合う他の協奏曲を配置することだって可能だろう。「四季」というのは自然の営みと人間を繋ぐものであり、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「四季」が最も有名なクラシック音楽になり得たのは、そのテーマが持つ魅力の大きさもあると僕は思う。


ヴィヴァルディの「四季」はあまりにも有名になりすぎたのかもしれない。作曲家ピーター・ハッチは、ヴィヴァルディの時代であれば音楽「愛好家」は協奏曲「四季」を聴いたのは生涯でせいぜい二、三回かもしれないのに、我々の時代であれば一月の内に何度も繰り返し聴くことだってある、と語る。大衆が新しい音楽を求めたヴィヴァルディやモーツァルトの時代には古い曲を演奏することは少なかったが、今は状況が逆転。新しい音楽ではなく古い音楽ばかり求められ、それもショッピングモールやレストラン、病院、テレビや映画のBGMで触れることも多くなった、と。ハッチは当時(2000年)のスウェーデンの自動車メーカーの広告、“Saab vs Vivaldi”も念頭に置いている。車の走りを芸術になぞらえるのは、同時にヴィヴァルディの音楽を商品になぞらえることでもあるだろう。

2000 Saab: Saab vs Vivaldi

音楽との関わり方が変わった現代、音楽を愛する者たちによって使用/利用/売買され、商品化、パッケージ化されるヴィヴァルディの四季。そうではない、商品としてではないヴィヴァルディを現代に再構成したのが、ハッチの「和声と創意への試み」である。
急緩急の3楽章、長さは10分ほど。言ってしまえばまあ、単なるヴィヴァルディのパロディである。パロディというのは対象が有名でないと効果が薄いのだけども、その点ヴィヴァルディは圧倒的に有名なので最適である。聴けばすぐわかるが、引用も多い。だがホフナング音楽祭の曲たちのような、名曲を引用して笑える楽しい曲にしたパロディです、というよりは、もっとシリアスにヴィヴァルディの音楽の本質や、芸術のアイデンティティを問うている。
有名な協奏曲が始まりそうな1楽章オープニング、さあここから激しくなるぞと思わせておきながら、ならない。いや、これは僕がヴィヴァルディを知っているから、激しくなると勝手に思っているだけなのかと、反省する。進んでほしい、変わってほしい、解決してほしいところで、全くこちらの望むように動いてくれない。少しだけ現実が改変された平行世界に紛れ込んでしまったような、もやもやする、違和感。2楽章もそれらしいのに、肝心なものが抜けている。後半の反復も面白いし、最後の引用の仕方も心憎い。最後にあるべきものではないのだ。3楽章はミニマル的でもある。もしかすると当時の聴衆にとってのヴィヴァルディの協奏曲の終楽章は、現代の聴衆にとってはこんな風に捉えられるものだったのかもしれない。
ヴィヴァルディの用いた手法、好んだフレーズがふんだんに登場するが、そこから一切の「意味」が剥ぎ取られている。ハッチは「私の興味は引用ではなく、現在のフィルターを通してこれらの作品を変換し蒸留することにあります」と語る。真面目に、皮肉を込めて、ユーモアを持って、そうやって「現代における古典」を再構築することで見えてくる本質・性質もある。ほんの10分ほどの曲なので、ぜひ一度聴いてみてほしい。何かが見えるかもしれない。


僕個人としては、意味を失ったヴィヴァルディの音の断片にも存外な響きの美しさが多々あることを発見したし、どうも「わかるようでよくわからない」感じが、生涯に二回か三回しかヴィヴァルディの四季を聴けなかった時代の感想に近いものも得られたような気がする。それと同時に、ここにヴィヴァルディの音楽の本質はどうしたってありえないと感じた。森羅万象を語る可能性を捨ててまで、音楽に自己批判やアイデンティティの模索をさせる必要があるのだろうか……とも。ヴィヴァルディの音楽の本質は音楽で世界を語りうるほどの卓越性に存在するのであって、新時代の芸術思想が欲するところ、つまり音楽そのものを問うようなつまらない仕事には、やっぱり向かなかいんだなあとしみじみ思った次第。
先日、国立西洋美術館で初の現代展示となる「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」という展覧会を見てきた。とても面白かったが、面白かった問いへの応答以前に僕はまず展示方法に異議があったのと、面白かった問いへの応答以上に、いくつかのあまりにも下らなすぎる現代美術展示のおかげで、結果的に「現代の美術家たちが古典作品の美術館を再考する」試みそのものが古典作品の美術館の本質とはそれすなわち古典芸術の保存と展示であることをまざまざと示していたように思われた。悲しい気持ちもあったが、意義は大きかったと思う。
何もハッチのヴィヴァルディ再構築がくだらないと言いたい訳ではない。多くの現代芸術家たちが芸術自体を問うことや芸術のアイデンティティ定義に必死になっている中、やはり古典とどう向き合うかというのは大事だなと思うことがここ最近重なったという話である。「和声と創意への試み」は、ヴィヴァルディ自身としてはおそらく、伝統的な音楽理論や作曲技法と自らの内から湧き上がる創作意欲を合わせることで得られた高品質の音楽、という意味なのだろう。弁証法的である。理性と感性への試みであり、思考と感情への試みであり、現実と想像への試みであり、二項対立とその産物、いかにも西洋的である。ハッチもまたヴィヴァルディという古典音楽と、自身の現代的な創意工夫を合わせ、その結果生まれたものがこの曲であり、まさしくタイトルに偽りなし。ハッチの試みにリスペクトを送ろう。ヴィヴァルディの音楽を現代的フィルターで濾過したことには大いに価値があったと。手垢をきれいに落として、芸術として美術館で展示できそうな「商品ではないヴィヴァルディ」が出来上がったが、多分そっちではなく、濾過されずにフィルターに残っている「それ」がヴィヴァルディの本質だろう。「それ」があるからこそ、何度でも演奏され、聴取され、愛される音楽なのだ。

Gathered Evidence – Music by Peter Hatch


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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