コジナ 4つの交響詩による交響曲:本当に美しい日だった――解放の交響曲

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コジナ 4つの交響詩による交響曲

以前カッコつけて「ドイツ音楽にさほど興味が持てない」とか何とか言っておきながら、前回も楽しくドイツ音楽の話をする(いやほぼイギリスか?)僕はブレブレ人間である。でもYO-KINGも「ブレてるやつはしなやかだ、ブレないやつは融通きかない、ポキっと折れやすい」と歌っているし、オーケンの教えによると「軸のぶれを波動と考えろ」とのことだし、これからも「常にブレてるという点だけはブレてない」を実践していきたい。
まあそんなことはどうでも良くて、ドイツ音楽は僕が喧伝しなくても十分有名なので、今回はスロヴェニア(旧ユーゴスラビア)の作曲家、マルヤン・コジナ(Marjan Kozina, 1907-1966)を取り上げよう。よほど好きな人でないと知らないのではないか。そういう曲はなるべくブログに書いて、インターネット上に日本語の情報を置いておきたいものだ。

マルヤン・コジナ(1907-1966)。画像掲載元:スロヴェニア科学芸術アカデミー

20世紀スロヴェニアの最も重要な作曲家、と呼ばれることもあるコジナは、1907年なのでオーストリア=ハンガリー帝国時代、スロヴェニア南東部の街ノヴォ・メストで生まれた。リュブリャナ大学で数学と物理学を学ぶのと同時に、リュブリャナ音楽院でヴァイオリンを学ぶ。音楽の道一本を志すと決めたコジナは、ウィーンでヨーゼフ・マルクスに作曲を師事、その後プラハへ行きヨゼフ・スークに作曲を、さらにソ連から脱してプラハに住んでいた名指揮者ニコライ・マルコから指揮を学んでいる。ユーゴスラビア各地の歌劇場で指揮者を務め、スロヴェニア第二の都市マリボルのGlasbena maticaの長となる。
Glasbena maticaとは、スロヴェニアの総合音楽団体のようなものだ。ドイツの音楽界やオーストリアの音楽界の影響が強かったスロヴェニアのフィルハーモニー協会に対抗して、もっとスロヴェニア独自の音楽を、プロ・アマ問わず団結して保存し、促進していこうという目的で設立された団体。オーケストラや合唱団を擁し、研究や教育にも力を入れた。リュブリャナとマリボルのGlasbena maticaは、当時のスロヴェニアの最も重要な音楽機関であった。コジナは母国への思いが極めて強い人物である。もっとも、当時の状況を考えれば、旧ユーゴスラビアの多くの人々がそうであったことだろう。

リュブリャナのGlasbena Matica。画像掲載元:Wikipedia


コジナが作曲家として本腰を入れ始めたのはちょうど第二次世界大戦が始まったばかりの頃。1940年代になるとベオグラード音楽院でも講師を務めるようになるが、ユーゴスラビア侵攻はコジナの音楽活動にも大きな影響を与えた。コジナの住んでいたベオグラードのアパートも爆撃で甚大な被害を受けた。またコジナの妻は、チェコから反ナチスのビラを密輸したとされ、ゲシュタポに逮捕、強制収容所へ数ヶ月抑留されている。愛国心の塊のようなコジナは、自身も1943年にスロヴェニアパルチザンに加わり、最前線で枢軸国の占領に抵抗した。まるで第一次大戦のときのヴォーン=ウィリアムズやバターワースのようだ。コジナは師団に入る直前に完成させたというオペラ「春分」のスコアを実家の庭に埋めてから参戦。大戦後、1946年には無事掘り返すことができ、リュブリャナ歌劇場で初演している。
1947年にスロヴェニア・フィルを設立、初代音楽監督を務めた。日本で「幽霊指揮者」としておなじみのアントン・ナヌートや、ベルリン・フィルでも東のベルリン響でもない「西のベルリン響」でおなじみリオール・シャンバダールで有名な、あの「スロヴェニア放送交響楽団」(リュブリャナ放送響)、ではない。放送響よりもコジナがリーダーを務めたスロヴェニア・フィルの方が歴史のあるオケなのだ。
コジナの作品は後期ロマン派と新古典主義の折衷のような作風で、和声や対位法に関する厳格な理論家で知られるヨーゼフ・マルクスと、後期ロマン派の生き残りスークの弟子というのも頷ける。舞台音楽や交響曲、管弦楽曲、カンタータ、晩年は映画音楽なども手掛け、リュブリャナ音楽アカデミーで作曲の教授を務めるようになる。作曲家、指揮者、教師、文筆家として権威も付いて、さあこれから世界を回ろうとした矢先、病に倒れる。59歳の若さで故郷ノヴォ・メストにて没。コジナを讃えて、スロヴェニアでは様々なものに彼の名が付けられた。ノヴォ・メストの音楽院や通りの名前のほか、1994年からはスロヴェニア作曲協会の最高音楽賞は「コジナ賞」とされているそうだ。2007年には生誕100周年を祝して各種イベントが開催され、翌年にはスロヴェニア・フィル創立記念日にリュブリャナのコンサートホールが「コジナホール」と名付けられた。


以上だけでも「20世紀スロヴェニアの最も重要な作曲家」と言われるのに十分な功績だとわかるが、今回取り上げる交響曲は、スロヴェニアの人々の精神に大きな影響を与えたであろう音楽だ。スメタナの連作交響詩「わが祖国」を思わせる、4つの別々の交響詩をまとめたものが、今回紹介したいコジナの代表作の一つである「4つの交響詩による交響曲」。コジナはベオグラードでカレメグダン公園を散歩していたときに構想が湧き上がったそうで、手紙に「本当に美しい日だった……私は大変上機嫌で、交響曲について考えていた。そして新聞の余白に大まかなアイデアを書き留めていた。プロパガンダのようなものではないが、一種の民族解放交響曲になるだろう」と書いている。実際はすんなりとはいかず、数年かけて各々の交響詩をまとめて交響曲の体裁をなすこととなる。

ベオグラードのカレメグダン公園。画像掲載元:BELGRADE BEAT


第1曲“Ilova gora”(1947)、これは「イロヴァ山」と訳すことができるが、スロヴェニア中央部の地名で、特別高い山があるような感じではないため「イロヴァ・ゴラ」という山間の村を指すのかもしれない。管楽器、打楽器の力強い音に、勇壮な弦楽。戦いの音楽だと察せられる。コジナ自身が1943年に経験した戦闘の描写だそうだ。弦楽のリズムなどからはシベリウスのような雰囲気も感じる。後半の怒涛の弦楽合奏の厚み、美しさが押し寄せる。クライマックスの高揚感も凄い。同1947年11月にウィーン響が楽友協会で演奏した記録がある。
第2曲“Padlim”(1948)、これは「戦没者へ」で良いのだろう。戦争犠牲者への悲歌であり、葬送行進曲のような性質もある。ロシア、ソ連の作曲家たちの音楽のような、あの重さを感じることができる。チャイコフスキーやラフマニノフに近い管弦楽法を思わせるが、そうしたロシアのロマン派音楽ともまた違うし、ハチャトゥリアンやショスタコーヴィチのようなやりきれなさ、あらぬ方向への力強さも感じるが、そこまで尖ってもいない。スメタナやバルトークとも少し違う。伝統的ではるが、やはりオリジナリティもある。
第3曲“Bela krajina”(1946)、これは「ベラ・クライナ」、スロヴェニア南東部、コジナの生地にも近い、独自の文化を持った地域だ。民謡が用いられているのだろうか、舞踏的な音楽も聴こえる。木管が踊るように吹き、金管が吠える。広がる白樺の林で、伝統的な衣装を付けた者たちが踊りに興じているような景色も思い浮かぶ。コラールのような場面もあり、中世から栄えてきた城塞都市と豊かな自然も謳われているかのようだ。この曲が全ての曲の中で最初に作られた、ある意味最も「スロヴェニアらしい」とも言える音楽であり、この曲だけ単独で演奏されることはよくあるようだ。
第4曲“Proti morju”(1949)、これは「海に向かって」、最後は自然賛美である。山間の国スロヴェニアと「海」、あまりイメージが湧かないけれども、調べてみたら一応アドリア海に面しているようだ。でも、海に向かうのだから、川のことかもしれない。僕はこのブログでも何度も何度も書いているように、川の音楽が大好き。この曲が川の音楽だという確証はないけれど、良い音楽なので勝手に川を想像している。ダメかな(笑) 正しい知識を持っている方はご教示願います。ただまあ、流れるように進み、色々な要素を持ちながら展開する音楽ではある。スロヴェニアの川について調べたのだけど、クルカ川という川が、コジナの故郷ノヴォ・メストには流れているそうで、クロアチアに近いあたりでサヴァ川に合流するらしい。サヴァ川はベオグラードでドナウ川に合流する。どうだ、一気にクラシック音楽っぽくなってきただろう。美しき青きドナウの支流から、海に向かって流れる音楽、様々な描写を楽しもう。クライマックスでは大迫力の大団円、眼前に広がるのはアドリア海ではなく黒海だと信じてみようじゃないか。

ノヴォ・メストを流れるクルカ川。画像掲載元:Wikipedia

各々は独立した曲だが、苦悩に満ちた大胆なソナタ風の1楽章、悲歌で葬送行進曲の緩徐楽章である2楽章、愉快なスケルツォ楽章としての3楽章、そして雄大なロンド・フィナーレである4楽章と、さながらベートーヴェンの交響曲だ。民族解放の交響曲がベートーヴェンをなぞるのは不思議ではない。あ、なんかドイツ音楽を褒めちゃったぞ。不謹慎か?それともブレブレか? でもいいでしょう、戦争ならば国と国で争うけれど、音楽は戦争の代理人ではない。音楽を利用する悪者は当然悪だが、強い音楽は悪なのか? そうではないだろう、この音楽の強さは、決して悪ではない。彼らは、時代も場所も違うし、ちょっと意味合いも違うけど、間違いないことは、解放のための音楽を書いたということだ。闇から光へ、苦悩から勝利へ進むことは、ドイツだろうがスロヴェニアだろうが、ベートーヴェンだろうがコジナだろうが、関係ない。その強さが人間性を、国民を救うのだ。
僕は決して西洋音楽中心主義者ではないし、国粋主義者でもないと、おそらくブログ読者諸氏はわかってくれると思うが(アイカツ至上主義者だという指摘があれば甘んじて受け入れましょう)、西洋音楽に普遍性があるかどうかと訊かれたら、僕は「わからない」と本当のことだけを言う覚悟がある。だってわからないじゃんね、やってもみないのにね。だから「ある」も「ない」も、答えとしては信念や理念が強すぎて不誠実だ。僕はコジナがドイツによる占領を憂いてベートーヴェンのような解放の交響曲を書いたということから、人間の持つ、音楽の持つ、何か共通する思いを見出すことはできる。それが(西洋音楽の)普遍性の一種であるとまで言えるかどうかは僕にはわからない。しかしきっと解放のために音楽が響いた瞬間は世界中であっただろうし、これからもあることだろう。

現代は大サブスク配信時代、これを書いている2024年6月24日現在ではまだ配信されていないようだが、これから登場するだろうか。まあ古いLP盤の音源が某動画サイトに挙げられているので気軽に聴けると言えば聴けるので、検索してみてほしい。旧ユーゴスラビア、バルカン半島の作曲家は、まだまだあまり知られていない人が大勢いる。クロアチアのブラゴイェ・ベルサは少し有名になってきたかな。スロヴェニアのブラーシュ・アルニッチ、ルシヤン・マリヤ・シュケリアンツなども、またの機会に取り上げよう。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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