モーツァルト 交響曲第36番「リンツ」:藤井、大谷、アマデウス

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モーツァルト 交響曲第36番 ハ長調「リンツ」K.425


リンツと聞くと「リンドール」で有名なスイスのチョコレート会社を思い浮かべるが、チョコレートの方のリンツはLindtと綴り、モーツァルトの交響曲はオーストリアの都市の名前でLinzと綴る。モーツァルトという名前のチョコレートリキュールもあるし、オーストリア銘菓であるモーツァルトクーゲルも一口サイズの丸いチョコレート菓子でリンドールに似ているし、モーツァルトとチョコレートは縁があると言って良いだろう。ということで、現代音楽の作曲家は誰かLindt Symfonyを作って然るべきだと思うのだが、まだ誰も書いてないのは甚だ遺憾である。世界的チョコレート会社とコラボすれば絶対売れるので、界隈の人たちが「現代音楽が人気ないのは◯◯が悪い」などとキレて喧嘩することも無くなるのではないか。リンドールは美味しいから、怒っている人の口に放り込んであげたら、きっと怒りも収まるだろう。平和の交響曲が望まれる。

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さて、リンツという愛称があるのは交響曲第36番K.425。後期の作品である。モーツァルトの後期交響曲と呼ばれるものは主に6曲あり、第35番「ハフナー」、第36番「リンツ」、第38番「プラハ」、第39番、第40番、第41番「ジュピター」である。後期というだけあって内容も充実しており人気も高い。37番だけないのは、今まで第37番と思われていたものは、序奏の部分だけがモーツァルトの作で、そこから後は全てミヒャエル・ハイドンの作だったと判明したからである。これはモーツァルトがウィーンで演奏会を行なう際、この曲を借りたときに序奏を作ったのではないかと考えられている。
ウィーンでフリーの音楽家として活動していた時期にあたる1783年の秋、モーツァルトはザルツブルクからウィーンに戻る途中、リンツに立ち寄る。リンツ滞在中に、トゥーン・ホーエンシュタイン伯爵の予約演奏会で演奏するために、大急ぎで交響曲を書いた。トゥーン伯爵夫人はウィーンで最初にモーツァルトのパトロンになった人物であり、演奏会用のフォルテピアノを借りるなど、恩のある人物でもある。曲はものの数日で完成させており、昔は先に挙げた第37番がそのリンツで書かれた交響曲だと思われていたそうだ。第37番とされていたミヒャエル・ハイドンの曲と、モーツァルトの後期交響曲群とではかなり雰囲気が違うのだけど、昔のモーツァルト学者たちは「まあ大急ぎで作ったから、こういうのもあるかな」と思ったのだろうか。大急ぎで作ったのが第36番の方だとわかり、モーツァルトはなんて凄い作曲家なんだと皆びっくりしたことだろう。


やはりモーツァルトは天才なのだ。将棋雑誌『将棋世界』2023年6月号で、当時の渡辺名人と藤井竜王の対局解説において、クラシック音楽愛好家でもある佐藤天彦九段がその話に触れているので引用しよう(引用中の「中島さん」は指揮者の中島章博さんを指す)。

佐藤九段「モーツァルトが交響曲第36番『リンツ』を3日ぐらいで書き上げてしまったという逸話があります。でも僕らは音楽好きとはいっても素人だから、そのエピソードは盛られているのかなって思いません?」
記者「確かに。伝説なのかなって。」
佐藤九段「でも中島さんに昔、それについて聞いてみたら、説得力のない話ではない、と。モーツァルトが書いてきた600曲のクオリティや、別の曲をどのくらいの時間で書いたかとか、そういう事実から総合すると、リンツを3日で書いたというのは破綻のある話ではなく、十分に説得力のある話だと昔、中島さんに聞いたことを思い出したんです。未来の将棋関係者やファンが本局を見たときに、50手目の時点で☖9八竜まで読んでいたのは信じ難いけど、藤井竜王が他の将棋で示しているクオリティを考えれば、説得力に欠けた話ではないという言説が可能なのかなと。要するに藤井竜王は生理的、直感的に計算できる量が段違いに多いんです。だからモーツァルトや藤井竜王みたいな突出した存在は、人が悩めないような次元で悩めるんだということも終局後の控室で中島さんたちと議論しました。モーツァルトの音楽を作曲するのはめちゃくちゃ難しいはずなのに、聴衆には自然に聴こえるというように、藤井竜王の将棋もすごく難解な技術を駆使しているのに、あっさり勝ってるように見える。そこも共通しているように感じました」


「フィクションを超える活躍」と称される天才棋士、藤井聡太さんでもいいし、二刀流で有名な野球選手の大谷翔平さんでもいいけど、そういう類まれな天才の例を現実に見ると、モーツァルトの逸話も現実味が増すというものだ。時代や場所や分野が違っても、天才はいつもぶっ飛んでいる。
モーツァルトがリンツ交響曲を作曲した1783年、その年の夏に妻コンスタンツェを父と姉に紹介すべくザルツブルクへ行くも、父は結婚に反対だったため歓迎されず、おそらく悲しい気持ちで故郷ザルツブルクを去ったことだろう。その道中に寄ったリンツで、大切なパトロンからの急ぎの依頼で交響曲を超速筆で書いた訳けども、家族との不仲や急ごしらえといった悪条件からは到底想像できない、むしろ自信と生気に満ちた音楽である。にわかには信じがたいが、それだって「通訳の不祥事で大騒ぎになっていてもメジャーでホームランをバンバン打つ選手がいるんだからな」と思えば、何も不思議ではない。


詳しい楽曲解説は本でもネットでもいくらでもあるのでそちらに任せよう。僕が特に好きなのは1楽章の序奏が終わりAllegro spiritosoになってから、第1ヴァイオリンが全音符を弾く裏で第2ヴァイオリンとヴィオラが8分音符で動く部分。「生気がある」と書いたが、あるパートの伸ばしの間に別の楽器が生き生きと駆け抜けていく、そこがなんとも心地よい。1楽章冒頭に序奏があるのもモーツァルトにしては珍しく、ハイドン(ヨーゼフ・ハイドンの方)の影響だと言われている。いや実際影響したのはヨーゼフかミヒャエルかはわからないが、モーツァルトが芸術都市ウィーンで活動して得られたものが、序奏に限らずこのスケールの大きな1楽章のあらゆる箇所で十分に発揮されていると思われる。
2楽章Andanteにも、トランペットとティンパニが入るのが珍しいところだ。全く勝手な想像だが、1楽章に続き2楽章でも今までやらなかったような創意工夫が現れるのは、ウィーンで刺激を受けたモーツァルトが、リンツという街でそれを華々しく披露したい、大々的に見せてやりたい、という気持ちがあったからかもしれない。首都で活躍する音楽家が、お世話になっている人の依頼で地方の大都市でやるときの、よく言えば矜持、悪く言えば虚勢のようなものを、僕は勝手に感じている。そういう意味で愛称の「リンツ」は、決してリンツ風という意味ではないにせよ「リンツだからこそ出来上がった」曲という意味で、良い愛称だと僕は思う。3楽章Menuetも生き生きしている。オーボエとファゴットが活躍するトリオも聴きどころだ。この楽章以外でも活躍する木管の美しい音色、存分に堪能したい。目も眩むような4楽章Prestoもまさに生気に満ちているという表現が相応しい。少しずつテーマが発展しながら、流れるように進む音楽。ユニゾンで聴こえるフレーズもなんて気持ち良いのだろう。
複雑なことをやっているのだろうけど、素人の感覚的にはシンプルに聴こえる。天才の所業だ。C.クライバーが愛するのもわかる。ハ長調というのもポイントかもしれない。モーツァルトの私生活における暗雲はこの曲からも見出せる、というような解釈もたまに楽曲解説などで見かけるけど、僕はあまりそうは思わない。むしろ私生活など全く関係ない次元で音楽をしている稀有な才能の持ち主の例だと思う。凡才の僕には、もっと人間の弱さを直接露呈したり、そこに寄り添うような音楽も嬉しいのだけど、それでもこのモーツァルトのリンツ交響曲のような、余計なものなど一切気にかけない、シンプルで、明快で、ただただ凄い音楽でしか得られないものだってある。クラシック音楽ファンは捻くれ者が多いので、世の中の藤井フィーバーや大谷フィーバーを冷ややかに見ている人もそこそこいそうだけど、本質的にはモーツァルトへの熱狂と同じなのかもしれない。違いと言えば、連日ニュースにならないことくらいかしら。

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