ボロディン 海の女王:少しだけ優しくしてあげる

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ボロディン 海の女王

先日、久しぶりにラジオでボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」を聴いた。好きな曲で、ブログを始めたばかりの2008年に書いている。2010年に交響曲第2番を取り上げて以来ボロディンの曲はブログに書いていないので、十数年ぶり。最近はそんなのばっかりだ。


医者・科学者であり、かつ作曲家でもあったアレクサンドル・ボロディン(1833-1887)。その二足のわらじの功績だけで十分に凄い人なのだが、その上性格も良くて心優しき人格者であった。困っている人がいたらすぐ手を差し伸べるタイプで、子どもはいなかったが数人の孤児を養子にして家で世話をしていた。その内の一人はボロディンの科学研究の方の弟子と結婚し、その夫婦の間にできた子はボロディンの伝記を残している。
そもそもボロディンの妻というのも、患者として来た人物であった。1861年に喘息を診てもらおうとボロディンの元を訪れたエカテリーナという女性と親しくなり、ロシアの厳しい気候を逃れるようにイタリアで療養するエカテリーナにボロディンも同行している。その際、ピサ大学で研究する機会を得たボロディンは、そこでフッ化ベンゾイルの製造法を発見している。何のことかよくわからないが、Wikipediaにもボロディンが発見したと書かれているし、きっと凄い発見だったのだろう。


1862年にイタリアから帰国したボロディンは、翌63年にエカテリーナと結婚。エカテリーナは肺が悪いのにヘビースモーカーで、ボロディンは看護師のごとく妻の健康管理に努めるが、妻はボロディンの言う節制には興味がなく、不眠にも悩まされていた妻の昼夜逆転生活に合わせて暮らしていた時期もあったそうだ。その無茶苦茶な生活を見たリムスキー=コルサコフは、恐ろしいほどだったと回想している。エカテリーナは季節に合わせてモスクワの実家とサンクトペテルブルクのボロディンの家とを行き来していたので、二人が数多くの手紙をやり取りした。残されたその手紙からも、ボロディンは病弱な妻を生涯に渡り献身的に、それも楽しそうに支えたことが伝わっている。

マリー=フランソワ・フィルマン=ジラールの絵画『ユリシーズとセイレーンたち』、ボロディンの作曲年代と同じ1868年の作。画像掲載元:Wikipedia


なぜボロディンの身の上話を書いているかというと、今回紹介する作品「海の女王」を鑑賞する上で、その辺のことを知っているとより充実した音楽鑑賞ができると思われるからだ。この曲はボロディンが1868年に作詞作曲した女声のための歌曲で、そのタイトルの通り、海の女王たるセイレーン的な存在を歌ってる。ということで、セイレーンでも美しい人魚姫の姿でも良いので、そんなのを想像しながら聴いてほしい。歌詞は↓

Приди ко мне ночной порой,
о путник молодой!
Здесь под водой
и прохлада, и покой.

Ты здесь отдохнёшь,
ты сладко заснёшь,
качаясь, на зыбких водах,
где, неги полна,
лишь дремлет волна
в пустынных берегах.

По зыби морской
сама за тобой
царевна морская плывёт!
Она манит, она поёт,
к себе тебя зовёт…

夜には私のところにおいで
ああ、若き旅人よ!
ここは水の底
涼しくて穏やかな

ここで休んでいきなさい
甘い眠りにつきなさい
さざ波に揺れながら
安らぎに満ちている
波がうたた寝するような
人気のない海岸で

海のうねりに乗って
あなたの後を追うように
海の女王が泳いでいくわ!
手招きし、歌い
あなたを呼んでいる……

ボロディンが自分で書いた歌詞だと考えると、なかなかロマンチストなんだなと思うけれども、これは実話を元にした歌詞だそうで、つまりボロディンは誘惑されていたのである。1868年、ボロディン34歳、すでに結婚もしているが、そこに熱烈アプローチをかける女性がいた。その女性はアンナ・カリーニナという22歳の人物であり、作曲家ニコライ・ロディジェンスキーの妹である。このニコライ・ロディジェンスキー(1843-1916)はボロディンの10歳下で、歌曲を中心とした作曲業のほか、外交官として活躍した人物。名家の出であり、1868年の夏にはリムスキー=コルサコフとボロディンがロディジェンスキーの別荘を訪れた記録がある。そこで知り合ったのだろう。
それを知って嫉妬した妻エカテリーナは激怒。秋になって実家に帰っていた妻宛にボロディンは手紙で「彼女に対する私の気持ちは、貴女に対する私の気持ちを変えるものではない。彼女に対する気持ちは、子どもに対する気持ち以外の何物でもない」と釈明した。これらの話は、George Kauffmanという人が、MITの有名な科学誌「レオナルド・ジャーナル」の1988年Vol.21, No.4に載せたレポート“An Apparent Conflict between Art and Science: The Case of Aleksandr Porfir’evich Borodin (1833-1887)”に書かれている。JSTORのリンクはこちら


ということを知った上で、ぜひ「海の女王」を聴いていただきたい。一回り年下の女性から言い寄られて、妻には「子どもと同じだよ」なんて言う割には、なかなかアレな音楽をお作りになるなあと思うが、ボロディンくらい凄い人になると、どんな気持ちでこの曲を作ったか常人にはわからないね。芸の肥やしじゃないけど、これも一つの作曲のネタだな、くらいの強いメンタルで書いているかもしれないし、人魚や女神や妖精のような魅力に本当にノックアウトするほどだったのかもしれない。ちなみに同じく1868年に、ボロディンは自作詞による歌曲「偽りの音」と、ハイネ詩のロシア語訳を用いた歌曲「私の歌は毒に満ちている」も作曲しており、どちらも短い曲ながら、暗い恨み節で、嘆き悲しみ、これは相当辛く苦しい思いをしたのだと推察される。これらの曲の制作順がわからないのだが、鬱ソングである2曲に比べて「海の女王」はより洗練されたロシア・ロマンスの趣き……とまでは言わないものの、芸術的にも素晴らしいし、フランス歌曲のような柔らかな雰囲気も感じられる、蓋し名曲である。ピアノ伴奏の8分音符の波、実に雰囲気がある。甘い。熱いメロディも美しい。ピアノの波は最後のスタンザから三連符になる。歌もPiu Animatoでクレッシェンド。ぐっと盛り上がったらテンポプリモで歌もpに、そして静かに消えていく。船は通り過ぎたのだろう。
オデュッセウスはセイレーンの歌を聴くために、船乗りたちに耳栓をさせて自身をマストに縛り付け、誘惑に耐えながら聴いたそうだ。知将の英雄をもってしても、そのくらいして耐えないと美しき人魚姫のお誘いには勝てないのだ、さて医者兼作曲家の知将ボロディン氏はどうだっただろう。仕事も家庭も趣味も、何でもこなす凄い男、ボロディン。いくら凄い男でも、それなりに疲れるんじゃないか? モテたのかどうかは知らないけど、やっぱり誰にでも優しくするデキる男ってのは、なかなか生きるのが大変なんだなあ……なんて。まあ、誰にでも優しくはないし特別デキるわけでもない僕には関係ない話だ。ボロディンはこの翌年、1869年に「だったん人の踊り」で有名な歌劇「イーゴリ公」の作曲を開始する。

Complete Songs & Romances
A. Borodin


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