エルガー グローリア(1872)/クレド(1873):この道の先なら、きっと大丈夫

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エルガー グローリア(1872)/クレド(1873)


6月2日はエドワード・エルガー(1857-1934)の誕生日だった。Twitterの方では音楽家の誕生日を祝うときに昔録ったラジオのエアチェック音源をHDDから引っ張り出してきて「蔵出しエアチェック音源」の鑑賞をしてツイートしているのだが、今回はそれではなくブログでお祝いしよう。
急なお祝いなので大した記事にはならないことを事前に謝っておく。まあこういうのは気持ちが大事なので良しとたい。エルガーは好きな作曲家の一人だ。好きと言いつつ、実は前に記事更新したのが2012年、愛の挨拶について書いたのが最後。13年も前である。さすがにエルガーに申し訳ないなと思い、急いでこれを書いている次第。書きながら思い出した、オルガン・ソナタについて書こう思っていたんだった。ずっとそう思いながら、名曲の前に竦んでしまっている状態である。


一応、Musicタブの方では、バルビローリとエルガーのヴァイオリン協奏曲についての記事を2021年に書いているので、そちらもご覧ください。

オルガン・ソナタについてはまた時間のあるときにゆっくり書くことにして、今日は最近(でもない)気に入っているエルガーの知られざる若書きの作品を紹介したい。先日書いたカミレーリの曲も作曲者が17歳のときに書いた曲だが、今回はさらに若い。エルガーが15歳と16歳のときに書いた曲だ。もっとも、エルガーの作品では10歳頃に書いた曲を手直ししたという「子どもの魔法の杖」もそこそこ有名だし(この曲については2009年にブログで取り上げている)、別にそんなに驚きはしない。

今回取り上げる初期の合唱作品、グローリアとクレドの2曲は、記事冒頭に貼ったSOMMレーベルの“The Reeds by Severn Side”と題したエルガーの宗教合唱作品集で知った。2022年リリース。エルガーの若い頃の作品から晩年のものまで、宗教合唱曲を概観できる素晴らしいアルバムだ。SOMMの音盤は本当に素晴らしいものが多い。大好き。
その1曲目がグローリア(1872年作曲)、2曲目がクレド(1873年作曲)である。グローリアはモーツァルト、クレドはベートーヴェンの旋律を基にしており、少年時代のエルガーが大作曲家から学んだことがわかる、実にナイスなアルバムの開始の仕方だ。そう、エルガーはほぼ独学で音楽を学んだのだった。


エルガーの父はヴァイオリニストでありまた教会のオルガニストで、子どもたちの中で自分と同程度の音楽家が出てほしいと望んでいた。長男ヘンリーは13歳で亡くなり、エドワードの2つ下の弟で幼くして才覚を示し「一家のベートーヴェン」と呼ばれた最も見込みあるフレデリック・ジョゼフ・エルガーは7歳で亡くなってしまう。父はあまりエドワードに期待していなかったようだが、それでも幼い頃からピアノを習わせてもらい、また父がオルガンを弾くセントジョージ・カトリック教会も良い音楽教室代わりだった。15歳で学校を首席で卒業すると、生活のため地元ウスターの弁護士事務所で事務員として働きつつ、音楽家になりたいという情熱も抱き続けたエルガーに、父は教会でのオルガン演奏や作曲などを依頼するようになる。
エルガー一家が英国国教会ではなくカトリックだったことで、きっと子ども時代に辛い思いをしたことだってあったと思うけども、教会の図書館から本を借りられたこと、また聖歌隊とオルガンを使って音楽的探求をさせてもらえたことはとても大きかった。父が教会のための音楽を頼んだことがきっかけで出来たのが、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第36番ヘ長調K. 547を用いた「グローリア」である。国教会だったらモーツァルトの主題を用いたグローリアなど生まれようもなかっただろう。第2楽章アレグロのメロディが元になっており、モーツァルトの天才的な音楽と典礼文、これが合わない訳が無い。


1873年、エルガーは16歳でベートーヴェンの交響曲第5番第7番、第9番に基づくクレドを作曲し、セントジョージ・カトリック教会で演奏された。おそらくエルガーの生前に同教会で行われた唯一のエルガー作品の演奏である。
まず有名な、いや全て有名ではあるが、交響曲第7番の第2楽章から始まる。荘厳な信仰告白である。Qui propter nos hominesからはソプラノとテノールのソロもある。Et incarnatus estからは交響曲第9番の第3楽章。こういう文脈で第九を持ってくるのが良い。Crucifixus etiam pro nobisの一節だけ、ベートーヴェンそのままとは言い難い作りになっているのだが、これは後世の補筆の都合なのかエルガーの意匠なのか僕には判別できない。受難を歌う場面でこだわったのだろうとは推察できる。Et resurrexit tertia dieからは交響曲第5番の第1楽章が登場、熱い展開である。Et in Spiritum sanctumで再び7番2楽章、Et vitam venturi seculiでダメ押しの5番1楽章、この楽章最後の運命の動機をAmenに充てるのはかっこいい、力強いフィニッシュ。


旋律を基にしているとは書いたが、特にグローリアの方をモーツァルトの楽譜を見ながら聴いてもらえばわかるように、旋律をパラフレーズのように扱うのが主ではなく、和声進行や小節数など、その曲の構造や枠組みをそのまま活かして合唱曲にしているのが特徴的だ。エルガーが何を学びたかったのかよくわかる。エルガーはモーツァルトの交響曲40番と全く同じ楽器と同じ小節数の白紙の五線譜を用意し、モーツァルトと同じような主題や和声の中で交響曲を書くという練習をしたそうだが、この合唱曲もまさにそのような作りになっている。この学習法は独学で学んだ彼のオリジナルの学習法で、後に振り返って「暗闇の中で光を追い求めるかのようだった」、「これほど多くのことを学んだジャンルは他にない」と語っている。また、ベートーヴェンの田園のスコアを初めて買ったときの喜びの大きさも振り返って語っており、ポケットにパンとチーズを詰めて、野原でスコアを読んで勉強した、いつもそんなスタイルだった、とも。

ヴォーン=ウィリアムズは、エルガーが亡くなった際の追悼放送で次のように語った。

「エルガーの交響曲第1番の序奏部では、メロディーは重厚な木管楽器とヴィオラに委ねられています。チェロとコントラバスは低音をデタシェで演奏し、一方でハーモニーは2本の柔らかなミュート・ホルンです。もし生徒がこのスコア書いて作曲科の先生に持ってきたら、先生は青鉛筆で線を引いて、これは聞こえないと言うでしょう。今でも見返すと、私にも全てが間違っているように見えますが、音はしっかり聞こえます。まさにそこに神秘と奇跡があるのです」

このエルガーの神秘と奇跡は、彼の独学のスタイルに端を発したものであろうことは間違いない。今回紹介した2曲は、苦労して学んだエルガーが英国を代表する作曲家になる、その第一歩、第二歩……そんな彼の歩みを見ることができる作品だ。モーツァルトやベートーヴェンが好きな人にも、エルガーの有名作品を好んで聴く人にも薦めたい。エルガーの歩む道の先を我々は知っているわけだが、それもこれなら当然だと、きっと納得できると思う。ぜひ聴いてみてほしい。希望と栄光へと続く、今まさに歩いている、その輝かしい道を!

The Reeds by Severn Side
The Chapel Choir of the Royal Hospital Chelsea, Joshua Ryan & William Vann


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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