ヴェルディ 弦楽四重奏曲 ホ短調
ブログを眺めていたら、ヴェルディについての記事が1つしかないことに気づいた。僕がブログを始めたのは2008年7月で、ヴェルディの記事が2008年8月、ナブッコ序曲について書いたもの。17年前か。遥か昔のことのようだ。
オペラの話は基本的にTwitterの方でしているので、17年ぶりのヴェルディ記事はオペラの巨匠唯一の室内楽作品、弦楽四重奏曲ホ短調にしよう。ヴェルディの弦楽四重奏曲なんてあったのか!と驚く人もいるかもしれないが、玄人の音楽ファンなら好きとまでは言わなくても、存在だけなら意外と知っているのではないだろうか。イタリアのカルテットはもちろんのこと、アマデウス四重奏団やメロス四重奏団、ハーゲン四重奏団、ロータス・カルテットなど、イタリア以外の有名カルテットも録音している。
ネット上でも記事は結構多くて、日本語で読める解説も多々あった。やはりヴェルディは人気なのだ。僕もイタリア・オペラ好きのはしくれ、ヴェルディのオペラもよく動画で見ている。また弦楽四重奏曲という室内楽の形式も僕は大好きなので、そういう意味ではこの曲はとても「おいしい」曲だ。
オペラ好きにとっては、ヴェルディのカルテットなんかは「あ、ヴェルディってこんな小品も作ってるんだ、聴いてみようかな」と思うのも容易いことだろうが、逆に室内楽好きにとってヴェルディのカルテットが良いからってじゃあオペラを観ようと思うかというと、そうはあまりならなそうな気がする。室内楽の大家ブラームスがオペラを書かなかったのと似ている。一方でオペラの巨匠は弦楽四重奏曲を書いた。
Wikipediaをはじめ楽曲解説でよく話題に上るのは、1873年3月にナポリで上演する予定だった歌劇「アイーダ」がソプラノ歌手の急病で延期となり、ナポリ滞在中の空いた時間にこの弦楽四重奏曲を書いたという話だ。同年4月には非公開で初演された。ほんの一ヶ月かそこらで書き上げたということになるので、ヴェルディってやっぱり凄いんだなと思わせるエピソードである。ただ、最新の研究によると1868年秋頃の草稿が残っているそうで、一月足らずで一気に創り上げたのではない、ということはここにも書いておこう。詳しくはヘンレ社のブログをご参照ください。
ヘンレ社のブログ記事では、ヴェルディ学者Anselm Gerhardが「ヴェルディが1873年の最初の3ヶ月を利用して、何年も前から着手していた弦楽四重奏曲をそこで完成させたということは十分あり得る」と書いている。いずれにせよ、ヴェルディって凄いんだなと思わせるのには変わりないことだ。
それでも、ヴェルディはめちゃくちゃ謙遜している。Wikipediaでも引用されているが「美しいか醜いかわからないが、四重奏曲であることは確かだ」と述べたり、出版もはじめは頑なに拒んだ。まあ結局出版して、しかも人気になるのだけど。謙遜して当然の出来栄えならともかく、イタリアのオペラ専業の作曲家がまるでウィーン古典派の伝統に則ったとでも言うべき音楽を、それも速筆で書き上げたというのだから、謙遜だなんて何を仰るのかしらヴェルディさんは、といったところ。お株を奪うのもいいとこだ。言ってないだろうけど、ヴェルディだって内心は「私だって書こうと思えばこういうの書けますよ」とドヤ顔していたかもしれない。
よく自己分析みたいなのでネタになる、好きなこと、やりたいこと、できること、得意なことなどの枠組みにならって言うと、ヴェルディの好きでやりたくて得意で周囲からも求められているのはオペラ作曲で間違いない。そして、好きかどうかはわからないが、ハイドンやモーツァルトから続くウィーン古典派の手法にならった弦楽四重奏曲を書くことは、ヴェルディにとって「できること」だったのだろう。それをしたくてもできない、あるいはできてもヴェルディより巧みに扱えない音楽家だって、おそらく大勢いたはずだ。それがこうもまあ、ささっと書けるんだから、世の中平等じゃないものだなあ。
専門じゃないけど実はサラッとできちゃいます、みたいな話は、どんなジャンルでも、現代でも普通に聞く話。そういうときに謙遜されるとなんか腹立たしいのだけど、でも謙遜したくなる気持ちもわかる。僕だって、別に好きでやりたいわけではないし専門でも何でもないけど、でも経験があってドラムが叩けるから、頼まれて叩いたら叩いたで、それなりにできてしまう。もちろんヴェルディの話のような超一流の芸術とは比較にならないレベルの話だけどね。専門外の者としては謙遜するしかないのだ。なお、僕が好きでやっている音楽に関する物書きは大して評価されない。悲しい。評価してくれる人、このブログ読者(通称ボク読)の諸君、ありがとう! これだって、僕よりも音楽への愛情も知識も少ない人が、その人の高い文章力や人気や人柄でもって、ササッと書き上げたものがバズったり高く評価されたりするとさ、悔しいよね。きっとヴェルディの弦楽四重奏が世の中に出たときに、めちゃくちゃ悔しい思いをしたドイツやオーストリアの作曲家がいたんだろうなと。オペラの国イタリアで細々と器楽を貫いていた作曲家たちもそうかも。ヴェルディと、他の室内楽作曲家と、両方の気持ちを慮りながらこれを書いている。
今日は某所のイベントでドラム叩いてますので、クラシック音楽ツイートはなしです😇
— ボクノオンガク (@bokunoongaku) June 14, 2025
ちなみに僕のスティックケースには今でも律ちゃんのストラップが付いています。おじさんだけど気持ちは若く!永遠の!17歳で行くぞ!! pic.twitter.com/PI1kII6W3k
第1楽章Allegro、ソナタ形式、最初の主題を奏でるのは第2ヴァイオリン。これがなかなか渋い。しかしロマンティックでもある。すぐに四賢者の対話になる。静かな雰囲気の第二主題も美しい。dolceで奏でられるこのパートは長く続かず、再び固く力強い冒頭の響きが戻って来る。劇的ではあるが、よく抑制がきいている。これがたっぷりアリアを歌うようなカルテットとして幕を開けたなら、それはそれで大衆は虜になっていただろうが、室内楽を愛する作曲家たちは冷ややかな視線を送りこそはしても嫉妬したりはしないかもしれない。こんなものは我々の弦楽四重奏曲ではない、と。しかしこの楽章だけ聴いても、彼らは「我々の弦楽四重奏曲」だと言わざるをえなかっただろう。
第2楽章Andantino、これもよく考えるとAndantinoってとこが絶妙である。3拍子のAndantinoで、どっぷり浸るような緩徐楽章でもなく、軽快なメヌエットでもなく、その中間のような。いかにも古典派~初期ロマン派の室内楽にありそうな、モーツァルトやシューベルト、メンデルスゾーンを思わせる雰囲気に、確かなイタリアらしさ、ヴェルディらしさも香っている。ゆっくりと散歩するのに相応しい、あるいは休日の午後にリラックスして聴くのに良い音楽だ。時折挟まる16分音符の連続も小気味良い、この16分音符こそ弦楽四重奏曲の決め手だと確信を持っていそうである。
第3楽章Prestissimo、駆け抜けるようにあっという間に終わる実質スケルツォ楽章、この楽章もまたシューベルトのカルテットを彷彿とさせる。トリルの付いたヴァイオリン、高速パッセージで伴奏するヴィオラとチェロ、良い。中間部ではチェロが朗々と歌う、ここも短いが、ピチカートを伴ったチェロのカンタービレ、これぞヴェルディの音楽。白眉である。これもたっぷり聴きたいけれど、やりすぎないところがカルテットによく合う。歌がメインではない。それはオペラでやること。ここでは4つの楽器の重なりこそが熱狂を生むのだ。
第4楽章Scherzo fuga、スケルツォは音楽用語としてというより、イタリア語の「冗談」の方だろう。冗談めいたフーガ。フーガというのは大体はシリアスなものだし、もちろんベートーヴェンの大フーガがすぐ頭に浮かぶけれども、このフーガはそうしたものではないという意思表示だろう。確かにこんなに速くてロマンティックなフーガはご冗談でしょうというくらい、他の弦楽四重奏曲では見かけない。速いというのはテンポ指定のことではなく、音楽の中身のことだ。フーガとしてはだいぶ狂乱の類である。でも綺麗なんだよな、そこが不思議なところだ。万華鏡のよう。上手に演奏するのは大変そうだ。ヴァイオリンの伸ばしが入るのも面白い。このフーガは歌劇「ファルスタッフ」のフーガを予見すると各所で書かれるが、それもわかる。ヴェルディはフーガの持っている「解決力」を有効活用している、とでも言おうか。良い音楽を聴いたなと思える。
謙遜はしていたが、評価されると段々とヴェルディも気に入ってきたのか、1876年に歌劇「アイーダ」上演のためにパリを訪問した際、ホテルに100人の客を招待して弦楽四重奏曲を演奏。大好評で、それを機に出版を許可するようになったそうだ。弦楽オーケストラ用に編曲して指揮しようと申し出たこともあった、と。
オペラと違ってどう評価すべきものか分からず謙遜するしかなかったヴェルディも、褒められたおかげで、弦楽四重奏曲を書くのも「できること」から「好きなこと」に変わったかもしれない。少なくとも、自作の弦楽四重奏曲をより好きになって愛着も湧くようになったのは確かだ。しかしオペラの巨匠はこの曲以降、室内楽作品を書くことはなかった。

都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more