マラツ ピアノ三重奏曲
ホアキン・マラツ(1872-1912)というスペインのピアニストがいた。当時優れたコンサートピアニストとして活躍したが、生没年を見てもらえればわかる通り、40歳で亡くなっている。結核だったそうだ。コルトーの5つ年上。マラツのピアノ演奏の録音は一応残っていて、エジソン製の蓄音機による1903年頃の録音を聴くことができるものの当然雑音が酷く、もっと長生きしていたら音楽鑑賞として楽しめる音質の録音も残っていたかもしれない。
バルセロナ生まれで、当地で音楽を学んだ後パリに留学、シャルル=ウィルフリッド・ド・ベリオに師事した。ベルギーのヴァイオリニスト、シャルル=オーギュスト・ド・ベリオの息子にあたる。グラナドスやビニェスもド・ベリオの下でピアノを学んでおり、特にマラツとグラナドスとは仲が良く、生涯の友人となった。二人が2台ピアノで共演した記録も残っている。

録音こそほぼ聴けないけれども、マラツの演奏については1903年にパリ音楽院で行われたディエメ・コンペティションで彼が優勝したという事実がその実力を物語っている。この話は本筋とあまり関係ないが面白いので紹介しよう。
1903年、当時のピアノ科教授であるルイ・ディエメが出資し、賞金4000フラン、過去に音楽院でプルミエ・プリ(一等賞)を取った者のみで争われるハイレベルなコンクール「ディエメ・コンペティション」が開催された。審査員にはマスネ、サン=サーンス、パデレフスキ、フォーレ、デ・グレーフ、ローゼンタールら12人が名を連ねる。課題曲は一日目がベートーヴェンの熱情とシューマンの交響的練習曲、二日目がショパン(幻想曲op.49かバラード2番、そしてマズルカ)、最終日がリストのラ・カンパネラかサン=サーンスのワルツ形式の練習曲。
ディエメの優秀な弟子であるラザール・レヴィと並んで、スペインの星マラツも優勝候補だった。なおローゼンタールの報告によると、ディエメはコンクール当日に「ああ可哀想なレヴィ、ひどい恐怖症を抱え、すっかり病んでいるんだ」などと話しかけてきて、主催の大先生によるとんでもない贔屓アピールにドン引きしたそうだが、いっそう公正な判断を下そうと決意したという旨を書いている。
マラツが弾いた熱情ソナタについて、ローゼンタールは「礼儀正しく穏やか」で、「家庭的な」演奏と評した。パリのお高く止まった雰囲気に対する皮肉すら感じた、とも言っている。また音楽評論家のアルテュール・プージャンは、次のように書いた。
「ベートーヴェンのソナタにおける彼の見事なアタックから、我々は彼がどのような人物であるかを感じ取ることができた。澄み切った透明な音、驚異的な信頼度を誇る比類のないメカニズム、時に優美でエレガントで、時に鋼鉄の手首による力強さと活力、そして何よりも完璧で見事なスタイル、これらが彼を際立たせる稀有な資質である。彼は単なるピアニストではなく、これ以上ないほどの言葉通りの意味で芸術家なのだ」
最終日にはレヴィも素晴らしい演奏をしたが、結果は11対1でマラツの圧勝だった。レヴィに入れたのはサン=サーンスだけだった。ローゼンタールは興奮してマスネを探し、会場の外で頭を抱えるマスネを見つけて話しかけた。マスネはディエメの古い友人であり、マスネのピアノ協奏曲はディエメに献呈されている。
「15歳の頃、貴方の『エロディアード』に感銘を受けてから、何度も魅了されてきました。しかし今日、貴方は頂点に達しました!」と。なぜですか?と驚くマスネに、ローゼンタールは続けた。
「ディエメは貴方の古くからの親友で、おそらく貴方の票を期待していたのでしょう。しかし鋭い正義感から、貴方はマラツに票を与えたのです」と。マスネは悲鳴を上げたそうだ。
マラツの優勝の知らせはスペインでも大いに話題になった。しかしパリからの電報には誤りがあり、なぜか審査員たちが演奏者として書かれ、さもマラツがサン=サーンスやマスネ、パデレフスキとコンクールで争った結果、見事優勝を収めたという風に書かれてしまったそうだ。マラツがそれを知っていたかどうかは不明だが……予想以上に名誉を浴びまくっていたかもしれないマラツは、バルセロナで凱旋リサイタルを行った翌日、グラナドスと一緒にカヌー遊びに行ったとのこと。主なソースは↓の本。
サン=サーンスだけはマラツに投票しなかったのが、まあいかにもといったところだが、当のマラツの方はというと、サン=サーンスの音楽を心底敬愛していた。今回取り上げるピアノ三重奏曲もサン=サーンスに献呈しているし、聴いてみてもらえればわかると思うが、スペイン音楽らしさと同時に、サン=サーンスのピアノ三重奏曲と似たような雰囲気がたっぷり感じられる。今年8月にサン=サーンスのトリオの記事も書いたので、こちらもぜひ読んでください。
マラツのピアノ三重奏曲は1898年の作品で、同年マドリードで初演された。マドリードで行う3つのリサイタル・シリーズがあり、1日目がベートーヴェンのソナタ、シューベルトの夕べという小コンサートを挟み2日目がモーツァルトのソナタ、3日目がマラツの自作自演リサイタル。そこではピアノ・ソロと歌曲作品が演奏され、演目の最後がこのピアノ三重奏曲。
第1楽章Allegro、スペイン風の音階や和声進行もしっかり感じられるが、サン=サーンスさながらの穏和さもはっきりわかる。このバランスが絶妙で聴き惚れてしまった。ローゼンタールの言った「礼儀正しく穏やか」で「家庭的な」という演奏スタイルも、何となく想像できるようだ。どの楽器も情熱的な瞬間と穏やかで落ち着いた時間があり、楽器間のバランスも良いし、曲全体の構成も良い。古典を範としているのがわかる。
第2楽章Andante、チェロの温もりある歌から始まり、ヴァイオリンに引き継がれ、すぐに重なり合う。美しい……本当に美しい旋律と和声。そこにもしっかりスペインの風を感じる。それも飽きるほどに出すのではなく、良い塩梅に小出しにしてくるので、奥ゆかしいというかなんというか。どの部分も初めから終わりまで良いのだが、特にピアノが主旋律を奏でるようになるところが素晴らしい。おそらくは、マラツ自身が弾いて美しいと思ってきたピアノ協奏曲の緩徐楽章が参考にされているのだろう。
第3楽章Vivace、まるでフランクのヴァイオリン・ソナタやショーソンのコンセールを思わせるような、淡く明るい光の中で陽気に動く音楽が始まる。しかしあまり激しい終楽章ではなく、ここでも穏和さが前面に出た音楽。心地よいハーモニーと各楽器の丁寧な掛け合いがあり、古き良き時代に戻ったかのような雰囲気がある。民族色もほんのり見える程度で、ヨーロッパのクラシック音楽の伝統に則った様式の美しさがある。これはこれで良いフィナーレだ。
穏やかといっても、特にピアノは十分に技巧的である。先にも書いたが、ピアニズムとしては全体的に室内楽的な趣きもありつつ、随所で協奏曲風の魅せ方があるのが独自性かもしれない。それでも、ピアノばかりが過重労働するようなアンバランスな場面は一切ない。その辺のバランス感覚は古典の研究で養ったものだろう。
マラツは1907年にサン=サーンスとの共演を果たす。2台ピアノで、サン=サーンスの「ベートーヴェンの主題による変奏曲op.35」と「スケルツォop.87」を演奏。きっとマラツにとっては憧れの大先輩と共演できて、夢のような時間だったのではないだろうか。
最も有名なマラツの作品は、先述したマドリードの3公演目でも弾いた「スペインのセレナータ」という曲で、これはタレガがギター編曲してから多くのギタリストにとってレパートリーとなり、今もよく演奏される。またディエメ・コンペティションで優勝してからは、マラツはアルベニスに認められ、彼の傑作「イベリア」を何曲か贈られたり初演したりしている。
自身の奥深くに浸透しているであろうスペインの(あるいはカタルーニャの)音楽と、アカデミックな西洋クラシック音楽の伝統と、両方に長けたマラツの才能がよくわかるのが、このピアノ三重奏曲。夭逝した天才の畢生の傑作だろう。
Author: funapee(Twitter)都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more









