レグレンツィ オラトリオ「悔悛者の心の死」:見よ、合掌せる懺悔者の背後には美麗なる極光がある

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レグレンツィ オラトリオ「悔悛者の心の死」


今年は珍しく仕事が忙しく、また育児や他の趣味に費やす時間も必要で、あまり美術館や演奏会に行けていない。芸術に不義理な生活を送っていることを、ここで懺悔しなければならない。ただまあ僕はキリスト教徒ではないので、懺悔は飲酒によってなされるという教義を説くばかりであるが……さて、冗談はこの辺にして、今回はがっつりキリスト教の音楽。17世紀ヴェネツィアで活躍したジョヴァンニ・レグレンツィ(1626-1690)のオラトリオを紹介したい。
バロック音楽は有名どころ以外に興味がないという人でも、名曲集などでたまにレグレンツィのヴァイオリン作品が含まれていたりするので、名前は聞いたことがある人も意外と多いかもしれない。ベルガモ近郊の村の、やや貧しい家庭に生まれたレグレンツィ。ベルガモで音楽を学び、当時ベルガモで活動していたアレッサンドロ・グランディ(1590-1630)がペストの流行で亡くなると、レグレンツィは同地の音楽を再興すべく活躍。名を上げてベルガモを去るとフェラーラの教会で楽長を務める。才能も野心もあったレグレンツィはさらなる活躍の場を求め、ミラノやボローニャ、ウィーンなど音楽の盛んな大都市で仕事を得ようとするも上手くいかず、ヴェネツィアに定住して活動。1681年、ヴェネツィアのサン・マルコ大寺院の副楽長に就任すると、1685年には楽長となり、ついにヴェネツィア楽壇のトップに登り詰める。この頃はヴィヴァルディの父が同寺院のヴァイオリニストを務めていたので、幼いヴィヴァルディもレグレンツィから教わったかもしれない。そういう訳でたまに「ヴィヴァルディの師」のように紹介されたりする。実際のところはわからないけども、当時のサン・マルコ大寺院のコーラスと器楽合奏は記録の上では最も規模が大きかったとのこと。レグレンツィは大楽団の長として名を轟かせた。

ジョヴァンニ・レグレンツィ(1626-1690)。画像掲載元:Wikipedia
カナレットの描いたサン・マルコ広場。左手が寺院。画像掲載元:Wikipedia

オペラやオラトリオ、声楽作品に器楽作品など、幅広いジャンルで多くの曲を書いたレグレンツィ。ここ数年で、にわかにレグレンツィの声楽作品がたくさん録音されてリリースされているので、今は彼の復興ブームなのかもしれない。
記事冒頭に貼った音盤の販促文では「カヴァッリやカリッシミら17世紀中盤のイタリアを代表する作曲家たちの後を受け、コレッリやA.スカルラッティら後期バロックと呼びうる時代の大家たちとの橋渡しをなす存在」と紹介されている。バッハやヘンデルも、レグレンツィの楽譜を模写したり、彼の旋律を用いて対位法を学んだそうだ。レグレンツィは間違いなく17世紀終盤のイタリア音楽界の重要人物だった。

様々な声楽作品がリリースされている中から、今回はどれを挙げようか悩んだのだけど、紹介しやすそうなものとしてオラトリオ「悔悛者の心の死」にした。記事冒頭の音盤はオリヴィエ・フォルタン&アンサンブル・マスクの2022年録音。僕はこの録音で初めて知った作品だけども、これよりも前にソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカの1995年録音が存在する。聴き比べもできるので興味のある方はぜひ。
他の声楽作品のどれを聴いても面白い。NAXOSから出ている「献身の諸相についての曲集 第1巻 Op.3」(2020年録音)も良いし、Brilliantの「バスのためのカンタータ集」もおすすめしたい。

レグレンツィ:オラトリオ「改悛した心の死」
ソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ

献身の諸相についての曲集 第1巻 Op. 3
ジョヴァンニ・アッチャイ/ノーヴァ・アルス・カンタンディ

Legrenzi
Bass Cantatas & Sonatas


オラトリオ「悔悛者の心の死」はイタリア語によるオラトリオ、いわゆる「オラトリオ・ヴォルガーレ」(oratorio volgare)である。ラテン語テキストではないので、広く大衆に説く目的があるのだろう。1671年、レグレンツィがヴェネツィアに来たばかりの頃に書かれたものだそうで、彼は1670年にヴェネツィアの小さな教会(Santa Maria della Fava)の楽長となった記録があり、この教会のために書かれたのではないかと見られている。

Santa Maria della Fava、画像掲載元:Wikipedia


登場人物はテノールの罪人(Peccatore)、ソプラノによる懺悔(Penitenza)と希望(Speranza)、そして痛みの合唱が三声。フォルタン盤では2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ハープ、リローネ、テオルボ、クラヴサンが伴奏する。当時はもっと小さい編成で演奏したかもしれない。
器楽の合奏はどんな風だったか想像の域を出ないが、歌の方は非常にシンプルでわかりやすい。言葉に沿ったメロディーで、とにかく意味をはっきりと伝えようというレグレンツィの意図が見て取れる。歌詞カードを見ながら聴いてもらえばわかる通り、罪人は悔い改めようと「心に死を」と求め続け、懺悔はとにかく懺悔しろと熱弁し、希望は「いや大丈夫ですよ」と慰める。しかしプロテスタントなら信仰義認だがこちらはカトリックなので、とにかく辛く悲しく苦しむことこそが悔い改めることであり、心に死をと希うくらいの行為が推奨されるのである。二部構成であり、前半の最後、このスティーレ・アンティーコな五声の合唱、巧みな対位法は圧巻の響きである、これは教会で聴いたら信者たちも「悔い改めねば」と納得したことだろう。筋書き全体においても言えるけれども(作詞者は不詳)、こういう部分だと特に対抗宗教改革の気風を感じる。後半でも色んなことを言っているのだが、結局は「心の死が永遠の命になるのだ」と説かれる。
やはり主人公の三役がそれぞれ立っているのが良い。キャラクターがわかりやすい。そのような歌の付け方といい、掛け合いやハーモニーも含め、シンプルでいて劇的であり、当時レグレンツィがいかに卓越した音楽家だったかを示している。演奏が良いおかげかもしれないけど。レグレンツィは音楽で感情を伝えることにかけては、当代随一の天才だったとわかるはずだ。
あまりに誇張された、こんな宗教的で寓意的な内容の音楽はちょっと……と思う人もいるかもしれない。でもそんな人にこそ、「ヴェネツィア音楽界のトップになる音楽家が、そのトップになる少し前に書いた、地元の小さな教会に通う人たちに向けて説くオラトリオ、この出来栄えがとてつもなく良い」という事実そのものの面白さも加味してもらいたいところだ。レグレンツィ、確かに橋渡しであり礎である存在で、後代の音楽を聴く際にも参考になるところが多々あるようにもあるようにも思う。でもやっぱり僕は同時代人の気持ちで「ははー」ってひれ伏しながら懺悔する聴き方が好きかな、なんせ毎晩一生懸命呑んで懺悔してるからな……と、どうしてもふざけてしまう自分がいる。いやいや、これは別にふざけているのではなく、僕の性格上、たとえ同時代で教会の椅子に座っていても、きっと「うわー、あの人の歌、上手いなあ」とか「これ、良い音楽だなあ」とか、そういう斜に構えた余計なことを考えそうではある。真剣にならないというか、ね。それが自分の悪いところでもあるし、まあ良いところでもあるのだけど。でも教会に通うだけいいってものだ。形だけの人も、当時から現代までずっといるはず、それも、結構な割合でいるはずだ。最良とは言えないだろうが、悪くはなかろう。形だけ信心深いポーズを取るように、とりあえず何も考えずに気軽に聴いてみるのも悪くない。キリスト教徒ではないので深入りすることもないが、それでも何か得られると思う。なんであれ人の強い思いが込められた音楽には、そういうところがあると思うなあ。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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