トレス カンタータ「幸福の時を告げる時計」:チクタク・マジカル・ハッピータイム

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トレス カンタータ「幸福の時を告げる時計」

スペイン後期バロックの作曲家、ホセ・デ・トレス(1670-1738)の音楽を取り上げよう。なぜ、こんな誰も知らないようなマニアックな作曲家を取り上げようと思ったか、まず経緯を説明したい。
日々気の向くままに色んな音楽を開拓しているのは昔から変わらないけど、年を取ってきて、年々嫌いな音楽が増えてきたなという実感がある。これがいわゆる老害化かも。悲しいことだ……でも永遠に若者のような輝く好奇心のままではいられないよね。特に、生成AI時代に突入してからはもう、新しい音楽への興味がガクッと減ってしまった。悲しいことだ……昨年の年末挨拶記事でも触れた通り、僕は今後ますます現代音楽より古楽の方に目を向けていくことだろう。また以前からロシア音楽とイタリア音楽に特に強い関心を持って開拓してきて、今もその辺の開拓はしているけれど(もちろん趣味としてですよ)、あまり声高にロシアものを賛美する気が失せてはや何年、といったところ。戦争好きのアホな指導者は早く去ってほしいし、この調子ではあの国やこの国の音楽を褒めるのも気が引けてくるようになりそう。悲しいことだ……音楽自体には罪がないとしても、純粋に音楽が素晴らしいかどうかと、それを公に称賛したいかどうかもまた別の話である。

どんな音楽についても書きたきゃ書くだけだし、上述した理由だけではないけど、ここ何年かはスペインの古楽に興味があって色々掘っている。知らない世界があってとても楽しい。
トレスの名前を知ったのは、↓の「アメリカのスペイン語カンタータ」というエドゥアルド・ロペス・バンゾ率いるアル・アイレ・エスパニョールのアルバム。ホセ・デ・ネブラ(1702-1768)、ディエゴ・ハラーバ(1652-1715)のカンタータも収録した2005年録音。こうしたスペイン・バロックの作曲家の楽譜は、スペイン本国ではすでに消失していても南米の教会で保存されていることが多々あり、それでアルバムタイトルも「アメリカの」と付けられているのだ。

La cantada española en américa / carlos mena, al ayre espanol, eduardo lopez banzo

このアルバムで知ったスペイン・バロック後期の作曲家、ホセ・デ・ネブラについては、昨年サルスエラ「暴力あって、責任なし」の映像を見た。2023年3月にマドリードのサルスエラ劇場で行われた公演の動画だ。アルベルト・ミゲレス・ロウコ指揮。アンサンブル・ロス・エレメントスの公式YouTubeが上げていて、Twitterの方でも話題にした。

トレスのサルスエラも見たいと思い、サルスエラ「愛における最大の不可能は愛によって克服される」という作品があると知ったのだけども、どうやらこれはセバスティアン・デュロン(1660-1760)の作品と誤認されてきたとかなんとかで、ややこしい状況。初心者の僕がいきなり手を出すのは違うかなと思いトレスのサルスエラは一旦パス、別の作品を聴こうとして見つけたのが、↓の「スペイン継承戦争時代の音楽」と題したラ・フォリアのアルバム、2007年録音。ここにトレスの「第7旋法によるカンシオーネス」という作品が入っている。アルバムのテーマも興味深く、多くの作曲家の音楽を収録し、解説も充実。しっかり読んでじっくり聴くのが良さそうな音盤だ。

Música de la Guerra de Successió Espanyola
La Folia

上の2つの音盤は約20年前の演奏。今回取り上げる曲は2018年録音で、割と最近の演奏だ。冒頭に貼ったダニエル・ピンテーニョ率いるコンチェルト1700によるトレスのカンタータ集より、1曲目に収録されているカンタータ「幸福の時を告げる時計」である。
難しい話はおいといて、とりあえずわからないままに聴いてみると、元気に飛び出てくるオーボエと美しいヴァイオリンの調べ、実に爽やかな音楽である。これも南米グアテマラの大聖堂で保管されたまま長らく日の目を見ることがなかったものの一つ。「南米の音楽」と言われて我々が思い浮かべるのはいわゆるラテン音楽の場合がほとんどだろう。陽気なサンバやカリブ海の音楽、あるいはアンデスのフォルクローレ。そうした現代のポップミュージックのルーツとなる音楽とは別に、何百年も前の南米でこんなバロック音楽が聞こえていたのかなと思うと、妙に感慨深いものがある。

トレスの生涯について少し語ろう。ラ・フォリアのアルバムでもわかる通り、スペイン継承戦争は18世紀初めのスペインの音楽に大きな変化をもたらした。ざっくり言えば諸外国の音楽が一気に流入してきたということで、特にブルボン朝フランス趣味と、当時の最も音楽の栄えた地であるイタリア音楽の影響は大きかった。
少年時代からマドリード王室礼拝堂の聖歌隊に加わり、少し成長すると王室礼拝堂オルガン奏者の座を勝ち取ったトレス。すぐに王室で音楽教師も務めるようになる。出世街道まっしぐらのその最中、スペイン継承戦争と1701年のフェリペ5世の君臨で王室礼拝堂を取り巻く環境もガラッと変わる。フランスの勝利によって、ハプスブルク家のカール大公を支持した疑いをかけられたマドリードの廷臣たちは、揃って追放処分となった。聖歌隊長だったセバスティアン・デュロンをはじめ(先に挙げたトレスのサルスエラと間違えて云々の人)、トレスもまたオルガン奏者の職を失ってしまう。一方で作曲は続けており、1703年にはミサ曲集をフェリペ5世に献呈した。
1707年、デュロンが自身の楽譜を含む貴重な資料を王室礼拝堂の書庫から持ち出そうとしてさらなる不名誉を被り、結果デュロンはフランスへ亡命することになる。一方トレスは翌1708年に疑いも晴れて無罪となりオルガン奏者として復職。デュロン不在の影響は大きく、トレスは1718年に王室礼拝堂の音楽監督に、翌年には音楽学校の校長にまで上り詰めた。
フェリペ5世が作ったラ・グランハ宮殿の礼拝堂はフェリペ・ファルコーニというイタリアの音楽家が監督していたが、その礼拝堂は短期間でマドリードと統合することになり、トレスとファルコーニ、スペインとイタリアの両音楽家が礼拝堂のトップを務めるという珍しい時期もあったそうだ。これもトレスの音楽、ひいてはスペインの宗教音楽に大きな影響を与えたことは想像に難くない。
トレスはまた王室の権限で独占的な音楽出版社を設立した人物でもあり、宗教音楽に加えて当時の世俗音楽においても重要な役割を担っていた。歌曲や劇音楽、音楽理論書など、あらゆる音楽の出版を管理する立場であり、自身の理論書などを出して音楽教育に大きく貢献したそうだが、独占していたので批判もあったようである。フェリペ5世即位後、様々なフランス音楽を集めてスペインの伝統に合わせ曲順を入れ替えたり種々変更を加えたりした曲集も出版している。
1734年12月24日にマドリードの宮廷(旧アルカサル)は壊滅的な火災に見舞われ、礼拝堂の楽譜も焼失。トレスは礼拝用の音楽を作曲することが急務となり、1738年に亡くなるまで多くの宗教音楽を作曲した。時代の波に乗り、国の中心で大車輪の活躍を見せた音楽家だった。だが今はスペインのバロック音楽の知名度が低いせいで、現代の音楽ファンの多くがトレスのことを一切知らない状況である。

カンタータ「幸福の時を告げる時計」をはじめ、冒頭のコンチェルト1700の音盤に収録されているカンタータは全てトレスのキャリア後期のもの。どの曲を聴いても面白いし、演奏も歌も一流で本当に素晴らしい。
このカンタータはアリア、レチタティーヴォ、アリアという構成。イタリア、特にナポリの様式の影響が見られるそうだが、詳しくわからなくてもきっとこの曲の最初のアリアを聴けばイタリア・バロックの音楽を思い出してしまうのではないだろうか。僕はアルビノーニを思い出したし、もっと初心者の人でも「ヴィヴァルディに似てるかも」と感じるかもしれない。
「幸福の時を告げる時計、それが私に与える時間は私を天使と同じにし、栄光を予言する」とスペイン語で歌われるアリア。歌詞が良いではないか。しかしもっと良いのは、楽器隊や歌が時計の針を模倣しているところだ。なんて可愛らしいのだろう。シュトラウスのチクタクポルカはもちろん、ハイドンの時計よりも前の作曲。まあハイドンは自分から時計のつもりで書いてはいないけど。
このカンタータは教会で歌ったのだろうか、随分と楽しげだ。スペインでは祝日のシエスタの時間に教会でちょっとした演奏会を行うようなこともあったそうで、もしかするとそんなときに演奏されたのかしら。もっとも、後の2曲はまた雰囲気が変わる。最後のアリアのため息のような音型、これはキリストの受難を表している。「鳴り響く音楽の中でさえ天上の時計は刻まれ、主は姿を現す」と、キリストの受難と死を思い起こさせるような詞と音楽である。

トレスより30歳近く年下のホセ・デ・ネブラは、トレスについて次のように述べている。いわく「故ドン・ホセ・デ・トレスの作品は簡潔さを重視して書かれており、その簡潔さにもかかわらず、教授方が称賛して当然の音楽的な深みを備えている 」 と。まったくもってその通りだと思う。シンプルでいて深い音楽。そういう音楽と向き合える時間は幸福な時間だ。古楽でも現代音楽でも何でも、知らない世界を開拓していると全然面白くない音楽に出会うことも多いけれども、それでも、本当に良いと思える音楽に出会えたときの幸福は何物にも代え難い。だから開拓を続けてしまう。時間を忘れちゃうね。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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