米国アマチュア歌劇団、ソ連へ行く

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はじめに

クラシック音楽ファンにも色々あって、自分で演奏したり歌ったりするのが好きな人もいれば、ある特定の音楽家を追いかける人もいるし、とにかく気になった演奏会に行きまくる人や、CDやレコードやエアチェックなどの録音のコレクターなどなど……多種多様なタイプがある。僕はというと、クラシックよりアイカツの方が好きどうもこれ!と決めて突っ走るのは向いていなくて、その辺りを横断的につまみ食いして適当に楽しんでいるなと自認している。元々コレクター趣味に近くて、とにかく集めたいという欲もあったのだけど、都内の狭小住宅住まいの自分には無理と悟ってからは、形のある音盤の購入はほどほどにしているし、さっさと手放すことも多い。それでも、レアな、というか、変わり物は大好きなので、変な録音にはつい手が出てしまう。世の中はアナログレコードに再びブームが来たり来なかったりしているようだが、流行り廃り関係なく、どうしてもマニアックな音源はLPにしかないことも多く、親譲りの古いプレーヤーと安物のプレーヤーしかないが、たまーに聴いている。そしてそんなレコードについて、たまーにツイートしているのでTwitterの方もよろしく。今日はそんな変わり種レコードの話。

米国アマチュア歌劇団、ソ連へ行く

今回はこれ、アレクサンドル・カントロフ(1947-)指揮、クラシカ室内管弦楽団、サリー・オペラ・カンパニー合唱団による、ヘンデルの「聖セシリアの日のための頌歌」、1989年録音、Melodiya盤。


アレクサンドル・カントロフは、もちろん同名のピアニスト(ジャン=ジャック・カントロフの息子)ではない。レニングラード音楽院でミハイル・ヴァイマンに師事しヴァイオリンを、そしてイリヤ・ムーシンとその弟子テミルカーノフの元で指揮を学ぶ。レニングラード・フィルまたはレニングラード響でヴァイオリン奏者として活動し、後に指揮活動に本腰を入れるようになる。1988年、生まれ故郷のレニングラードにクラシカ室内管を設立、人気を博し編成を拡大、サンクトペテルブルク国立交響楽団《クラシカ》として精力的に活動している。サブスク配信などで演奏が聴けるので、お気軽に。

サリー・オペラ・カンパニー(Surry Opera Company)は、もちろんイギリスのロンドン近郊サリー州にあるオペラカンパニー「サリー・オペラ」(Surrey Opera)ではない。アメリカのメイン州にある小さな町サリーにて、アメリカの禅研究者であるウォルター・ノーウィック(1926-2013)が芸術監督を務めたオペラカンパニーだ。

Walter Nowick(1926-2013) 画像引用元:Salt Story Archive

ノーウィックはジュリアード音楽院でヘンリエッテ・マイケルソンにピアノを学び、第二次大戦が始まると従軍し沖縄戦へ。戦後は再びピアノを学び、マイケルソンの導きでニューヨークにある米国第一禅堂へ通うようになる。アメリカに禅を広めた佐々木指月が創設した場所だ。1950年に渡日し、後藤瑞巌に師事、彼が亡くなるまで16年間日本に滞在し、禅の修行をしながら京都女子大学でピアノを教えた。後藤瑞巌が亡くなるとアメリカに戻り、サリーに農場を開いて、そこで日本人を中心に音楽と禅を教えていたそうだ。後にMoonspring Hermitage(月泉庵)という禅堂とし宗教法人化、弟子たちが通うようになった。


米ソ冷戦時における核戦争の危機を懸念したノーウィックは、市民レベルで米ソ関係を強化しようと考え、そこで創設したのがアマチュア歌劇団の「サリー・オペラ・カンパニー」である。1985年にはオペラの方に情熱を傾け過ぎて禅の教師の仕事が疎かになっていると弟子たちから指摘され、ノーウィックは教師を辞職し禅堂は宗教団体に譲渡。オペラの方に専念し、何度となくソ連を訪問した。当時は注目も大きかったようだ。その米ソ交流の成果のひとつが、カントロフ率いるクラシカ室内管との共同演奏・共同録音である。


このMelodiyaのLPは、彼らの音楽を残した貴重な録音。ネット上にはほとんどこれに関する記事は見当たらないが、録音に参加したソプラノ、リュドミラ・ベロブラギナを紹介したbach cantatasのページには言及があった(リンクはこちら)。さすがbach cantatas、世界一詳しいバッハの音源サイト。もう何度も言っているが、僕もこのサイトに名を残している。すごいだろ、えっへん。また寄稿しようかな。以下の記事も参考にどうぞ。


ヘンデルの「聖セシリアの日のための頌歌」は1739年に作られた頌歌。ソプラノ、テノール、合唱と管弦楽のための作品で、とにかくまあ、非常に美しい音楽である。歌手も重要で、先に挙げたベロブラギナと、テノールのアレクセイ・マルティノフも大活躍しており、またアマチュアとはいえ合唱団も健闘している。カントロフとクラシカも良い。これはメロディア盤であることからも察せられるように、レニングラードのスタジオでの録音だが、カントロフとクラシカもまた、この録音が行われた1989年に訪米した記録がある。その際はアマチュアの歌劇団を伴ったツアーだったそうだ。ヘンデルを演奏したかどうかは不明。同年にベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」を共同制作した記録も残っている。


フィデリオ、聖セシリアの日のための頌歌、他にどんな演奏をしたのか、あるいは録音があるのかないのかも謎だけれども、この2曲という選曲も非常に意味深いものだ。フィデリオはまさに正義、自由、そして人類愛を描いたオペラである。また聖セシリアの方も、音楽の守護聖人の日を祝す頌歌であり、音楽の力が歌われる。パーセルの同名の作品については昔ブログに取り上げたこともある。パーセルの曲も良いし、ヘンデルの曲も抜群に美しい。“What passion cannot music raise and quell!”と、彼らはどんな思いで奏でただろう。


サリー・オペラ・カンパニーはその後も広く各地を訪問し、特に日本、ロシア、そしてアメリカの交流に力を入れた。1991年(多分)、京都の日吉町にある「かやぶき音楽堂」にて、日・米・ロの合同オペラを上演。ピアノ伴奏によるものだが、各国からの参加者と地元の人と一緒に、なんとムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」をやったという。こういう話が、21世紀の日本のインターネットにはほとんど残っていないのが無念極まりないが、実はあるところにはあるもので、なんとなんと、Internet Archiveにはサリー・オペラ・カンパニーの日本とロシアでの活動の一部が映像として残っている。90年代初頭のものばかりだと思われるが、どれも貴重な映像だ。リンクはこちら。ぜひご覧になっていただきたい。日本のニュース番組の映像などもある。


こうしてノーウィックは日本やロシアを訪れつつ、サリーに住み続け、夏にはサリーの小さな納屋でコンサートを開き、メイン州の人々や日本人、ロシア人が集まりピアノを弾いたりオペラ・アリアを歌ったり……と生涯を音楽と共に過ごした。サリー・オペラ・カンパニーについては、サリーのコミュニティのページでも詳しく紹介されている。

おわりに

僕はたまたま、この変わり種レコードのおかげで、こんな世界があったのかと知った訳だけども、ノーウィックとサリー・オペラ・カンパニーについては、日本にも何度も来ているにもかかわらず、日本語での情報がインターネット上にないことに驚いた。おそらく、知っている人はそれなりの人数で存在しているはずだが、アマチュアだったこと、ちょっと宗教的要素が強いことなどが、この30年前の記録が残らなかったことに関与しているのだろう。アマチュアのこうした演奏会は、プロと違ってどうしても記録に残らないことが多いし、日本のクラシック音楽界の大事な語り部たる評論家や感想を雄弁に語るクラシック音楽ファンが、あまりアマチュアに興味がないというのもあるだろう。また、こうした「音楽で平和を」とかいう平和の使者的な活動自体は、いわゆる音楽ファンの生息地とはまた違うエリアに位置するものでもあり、ものすごく熱狂的に記録を残す人がいるか、あるいは全く残らないかの二極化する傾向がある(と勝手に思っている)。僕のように、たまたまブログやってるような人がこれに触れたのも何かの縁だということで、そして2022年現在の国際情勢を鑑みて、ここにこうして書き記そうと思ったのだ。


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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