タファネル 木管五重奏曲:こもれびのチュール羽織ったらピルエット

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タファネル 木管五重奏曲 ト短調

この五重奏曲は私たち全ての者にとって啓示でした。これは古風な作品ではありません。喜びあふれる音楽で満たされた楽譜であり、どこかラロに通じるところもあり、見事な書法です。私と同様に、多くの音楽家たちがこれまでこの曲を聴いたことがなかったと驚きました。――アルテュール・オネゲル

先日、パナソニック汐留美術館で開催されている「オディロン・ルドン ―光の夢、影の輝き」という展覧会を見に行った。ルドン作品をたくさん見られて眼福だった。何かルドンの絵がジャケットに使われたCDを聴こうと思い探してみたら、アシュケナージのショパンがあったのでそれを聴いた。ちょうどその前日にジョン・オグドンの録音を聴いた話をTwitterの方でしていたので、オグドンと1962年のチャイコフスキーコンクールで優勝を分け合ったアシュケナージを選ぶのも良いなと思ったのだ。Deccaの企画盤、2枚組CDの“Double Decca”というシリーズがあり、多分2階建てバスのダブルデッカーとかけてるんだと思うけども、このシリーズは名画がジャケットに用いられている。アシュケナージのショパン作品集も何枚かあって、共通してルドンの絵が用いられている。

ショパン:ピアノ・ソナタ(全3曲)、24の練習曲集
ヴラディーミル・アシュケナージ


汐留の展覧会でも、花瓶の花を描いたルドン作品が数点、一角にまとまって展示されていて美しかった。ルドン作品、中でも特に花の絵はクラシック音楽のイメージによく合うのだろう、様々な音盤でジャケットに用いられている。偶然だけど、3月に書いたプーランクの記事で挙げた音盤もそうだ。

ということで、何度目の登場になるかわからないが、ルドンの花がジャケットに用いられている音盤をまた挙げようと思う。今度はルドンと同じ時代を生き、同じフランスで活躍した音楽家、ポール・タファネル(1844-1908)の音楽。これならルドンの花の絵が使われているのも納得だろう。タファネルは当時の著名なフルート奏者で、20世紀におけるフルートの演奏指導で主流となる教本を上梓した人物、とWikipediaでは紹介されている。指揮や作曲もしたタファネル。彼の代表作がこの木管五重奏曲であり、僕も以前からいつかブログに書こうと思っていた曲だ。まあ、ルドンの花の絵が使われている音盤があるのは知らなかったけどね。

クロード・ポール・タファネル(1844-1908)。画像掲載元:Wikipedia


卓越した奏者でありパリ音楽院の教授も務めたタファネルは、自身のレパートリーとしてはもちろん、学生にもバッハのソナタを演奏させるなど、古典の復興に力を入れた人物であった。ヴィオラ・ダ・ガンバやクラヴサンと一緒にバロック音楽を演奏することも多々あったようで、当時としては先駆けでもある。演奏スタイルも気取りすぎたり技巧をひけらかすのではなく、楽譜に従順で、特にリズムと拍感を徹底的に守り、ヴィブラートも軽くて上品な使用を推奨した。多くの作曲家がタファネルのために曲を書き、ほぼ同世代のチャイコフスキーは最晩年にタファネルのためにフルート協奏曲を書こうとしていたが、書く前にチャイコフスキーは亡くなってしまった。実現していたらどんな曲になっていただろうか。
1879年には管楽器室内楽協会を設立し、モーツァルトやベートーヴェンの管楽アンサンブルを復興。友人であるグノーが同協会のために作曲した小交響曲は、タファネルが演奏することを前提にしたフルートの活躍する作品で、何年か前にブログでも取り上げている

タファネルが木管五重奏曲を作曲したのは1876年、まだ管楽器室内楽協会を設立する前である。タファネルはこの年にフンメルの七重奏曲を演奏しており、評論家から「繊細なニュアンスを追求するあまり、ときどき音がほぼ消え去ることさえなければ完璧だった。7人の奏者が示し合わせて音を消しているのかと思うほどだった」と書かれている。管楽器は大音量で鳴らすもの、というイメージの人は今も昔もいるだろう。タファネルは管楽器アンサンブルにおいて、屋外で行う金管楽器を主とした激しい合奏とは逆の、室内楽としての繊細さを追求したのだ。
この年の作曲家協会主催のコンクールのカテゴリーがピアノ四重奏、木管五重奏、声楽とピアノのための作品であったため、タファネルは木管五重奏を選んで応募することにした。パリ・オペラ座の首席フルート奏者に就任したばかりで多忙だったが、9月から10月にかけて一月ほど休暇をもらい、そこで作曲したと言われている。審査は匿名、審査員はトマ、ドリーブ、デュボワらが務め、14作の木管五重奏の中から選ばれたのがタファネルの作品だった。1877年5月20日に審査結果が発表され、デュボワは「スコアを読んだときはあなたが書いたとは知りませんでしたが、驚きはしません」と納得のご様子。
1878年5月3日にサル・プレイエルで初演。フルートはタファネル自身が務めた。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第5番「春」と、ハイドンのフルート、チェロとピアノのための三重奏曲と共に演奏され、タファネルの五重奏曲は「傑出した作品」で「演奏が至難も、見事な演奏」と評された。作曲家協会のコンクール受賞者コンサートは5月23日で、この演奏も絶賛されている。同年のパリ万国博覧会でも演奏されたとのこと。もしかしら大久保利通も万博会場で聴いたかもしれない……(追記。そのようにTwitterで書いたら大久保利通に詳しい人から指摘があり、少し調べたところ万博開催が5月20日で、同年5月14日に大久保利通は暗殺されているため、聴いてはいない。大久保利通は博覧会事務総裁だった。副総裁の松方正義なら、もしかしたら聴いたかもしれないですね)。
パリ万博での演奏について、1878年7月号のガゼット・ミュジカル誌は、すでに以前この曲を絶賛していたにもかかわらず、木管五重奏という編成について疑問を呈している。いわく、これはコンクールのためにこの編成になったのであって、作曲者を責めることはできない、と。遠回しに言っているが、要はせっかく才能があるんだから管楽アンサンブルではなく、いわるる「ちゃんとした」室内楽、つまり弦楽器のための室内楽作品を書けばいいのにということだ。何もこれを書いたライターだけではなく、当時の楽壇の風潮として管楽器が軽視されていたのは事実である。まあ150年近く経った今でもまだそういう風に考えている人もいるだろう。弦楽器が上で管楽器や打楽器は下だという風潮が存在していたからこそ、それを改めようとタファネルは翌1879年に管楽器室内楽協会を設立し、管楽器作品の普及に尽力したのである。同誌でも協会の第1回演奏会のレビューが書かれ、そこでは「私たちの演奏会であまり取り上げられていない、管楽器のために書かれた室内楽の認知度を高めるという立派な目的を持った音楽家の団体」と紹介されている。

ガゼット・ミュジカル誌、1879年(vol.46)の記事。


フルートの演奏や管楽器の室内楽作品普及に大きく貢献したタファネル。彼の木管五重奏曲は、このジャンルの古典として現代でも多くの奏者たちに愛されている。もっとも、古典好きの奏者ならともかく、最近の日本の吹コン/アンコン勝利至上主義者にとっては、別にコンクールで勝ちやすい作品ではないだろうから、あまり人気がないかもしれない……タファネルが今の吹奏楽界隈の歪んだ価値観を知ったらどう思うか、想像すると暗い気持ちになってしまうけれども、彼の管楽器への情熱に僕もあやかって、素晴らしい音楽を紹介し、その普及に少しでも寄与したいという気持ちでこのブログ記事を書いている。


3楽章構成で20分ほどの演奏時間。1楽章はAllegro con moto、ソナタ形式の構成力ある音楽。旋律も和声も心地よいし、何よりも楽器の使い分けが面白い。ありとあらゆる音色の組み合わせが、それぞれに相応しい楽想で登場する。このバランスが完璧であるがゆえに、当時の作曲コンクールで優勝できたのだろう。ついカッコいいフルートを意識して聴いてしまうが、どの楽器も持ち味を発揮する曲だ。全楽章通して言えることだけども、どの楽器も主役であり、またどの楽器も脇役もこなし、その均整を保ちながら進むので、どの楽器のファンも常に音楽に惹きつけられる。また弦楽器と違い、長い音価が連発されないあたりも管楽を聴く楽しみだ。短いフレーズを積み重ねて進行する、まるでベートーヴェンの作品のような練達した職人技を感じる。非常によく作り込まれている音楽である。
2楽章はAndante、19世紀後半の装いをしたモーツァルトと言ったところ。さすがベートーヴェンやモーツァルトの管楽を研究したタファネル。長閑で心休まるような旋律を各楽器が引き継ぎ歌う、シンプルだが、それが良い。この楽章の中間部も熱いものがある。この曲の白眉だろう、胸を打つ。本当に、どの楽器も完璧に良いので、いちいち「あそこのホルンが」とか「あのオーボエが」とか言えないくらい、どの楽器もしっかり活躍する。
3楽章Vivaceは8分の6拍子、タランテラ風に駆け抜ける音楽。メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」の4楽章(サルタレッロ)も彷彿とさせる。この舞曲風楽章も、木管五重奏という編成だからこその良さが出ている。確かにパリ万博演奏会の評のように、こういうのを弦楽四重奏で聴きたいと思う気持ちは、室内楽ファンであればよくわかると思う。当然、弦楽器による演奏でも楽しい音楽だろう。だが、この曲のキレのあるリズムも、穏やかなロングトーンも、異なる管楽器同士の音色で最大限に活きるように作られている。舞曲と言っても、きっと多人数でやる踊りや、踊り子たちの大人っぽい踊りではないだろう。想像するのは静かな森の中。木漏れ日を浴びて、シロツメクサの花冠をした子どもたちが幾人か、楽しく遊びながらクルクルと回って踊る様子だ。そうした様子を思い浮かべるのは、木管五重奏の音色のおかげである。緩急ある生き生きとしたリズムや巧みなテクスチャは曲の魅力を存分に伝え、各々の奏者たちの速いパッセージでヴィルトゥオーゾ的な見せ場もある。実に良い音楽。最後は徐々に静かになっていき、全休を挟んで、なんとも可愛らしく、それでいて華のあるフィニッシュ。この終わり方のおどけた感じが僕は大好き。これがあるからこそ、踊りも「子どもたちのいたずらっぽい踊り」だなと思わせるのだ。

よく「木管五重奏にホルンが入っているのはなぜか」という解説で、ホルンは金管の中でもトランペットやトロンボーンと違い、宮廷や軍楽隊のための楽器ではなく民衆のための楽器だったから、という風に説明される。まさにこの作品も、民衆のための、日々の生活に根付くような、身近に寄り添うような、そんな雰囲気を持った作品だと言える。もちろん、遥か遠い世界を見る音楽だって素晴らしい。どうしてもそういう音楽の方が上に見られがちだけども、本当は上も下もないでしょう。身近で親密な音楽、なんて尊いのだろう。タファネルの作品は、木管五重奏の持つ魅力――身近で親密で、そして何とも言えぬ愛らしさがあるという魅力を最大限に伝えてくれる傑作である。オネゲルの言う「喜びあふれる音楽で満たされた楽譜」という評はまさにその通りだろう。

【参考】Blakeman, E., Taffanel: Genius of the Flute, Oxford University Press, 2005.

Taffanel: Genius of the Flute
Edward Blakeman

Taffanel, P.: Wind Quintet / Poulenc, F.: Sextet / Jolivet, A.: Serenade / Tomasi, H.: 5 Danses
Philharmonisches Bläserquintett Berlin


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Author: funapee(Twitter)
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