モーツァルト ピアノ協奏曲第20番:未来向きの今を

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モーツァルト ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466

モーツァルトのピアノ協奏曲の中で最も人気のある作品はこの20番だろう。そういう有名曲についてブログ書くのは、いつも何書いたら良いかわからなくなるので避けていたけども、最近は少し、書かないといけないなと思い始めてきた。逃げていると、いつまでも書かずに人生終わってしまいそうで……そんな風に感じるお年頃になってきたということかもしれない。
楽曲解説はインターネット上にもあふれているので、あまり日本語で書かれないような情報を付しておきたい。要は森下未知世氏のページ(通称marimoのページ)の解説にない話を僕もインターネット上に置いておこうということだ。この曲の解説等でよく書かれるのは、モーツァルトの死後もずっと愛されて演奏されてきたピアノ協奏曲であり、特にベートーヴェンが好んで弾いたという話題や、この曲の初演時はモーツァルトの父レオポルトもウィーンまで聴きに来てこれを絶賛したという話題だ。
モーツァルトが作曲したのは1785年、2月11日にモーツァルト自身の独奏で初演され、2月14日に父レオポルトがモーツァルトの姉ナンネルに宛てた手紙に、その時の様子が書かれている。この曲の日本語Wikipediaに載っているレオポルトの手紙というのも2月14日に認めた手紙だ。今は便利な時代になったもので、この手紙はデジタル・モーツァルト・エディションで閲覧可能(リンクはこちら)。この英訳版を見ると、脚注11番にこのような記述がある。

モーツァルトは、1785年2月11日、市営集会場「メールグルーベ」での金曜演奏会の初回で、父親の前でこの協奏曲ニ短調KV466を演奏し、2月15日にはブルク劇場での歌手エリーザベト・ディストラーの演奏会で再び演奏した。この曲は、1794年2月7日にプラハで行われたモーツァルト追悼コンサートで、ヴィターセクがコンスタンツェ・モーツァルトの前で演奏したものである。

この後半の記述、1794年2月7日にプラハでモーツァルトのピアノ協奏曲第20番K.466が演奏されたというのは、あまり見かけない(多分)。モーツァルトが亡くなった2年3か月後、コンスタンツェの前で演奏とは! 何しろ情報源が圧倒的権威なので、事実なんだろう。この話題は、2022年11月にリリースされたモーツァルトのK.466とマルティーニ、シュテルケルの作品を収録したTudorレーベルの音盤、ヨルク・クローネンベルクのフォルテピアノ、ドミニク・キーファー指揮カプリッチョ・バロック管の2021年録音のブックレットでも触れられていた(記事下のリンク)。その解説いわく、モーツァルトの優れた功績と天才に捧ぐ演奏会で、神殿のような会場で演奏されたらしい。ピアノを弾いたヤン・アウグスト・ヴィターセク(1770-1839)はボヘミアの作曲家で、ウィーンのシュテファン大聖堂の音楽監督をオファーを蹴ってプラハに留まり音楽活動に勤しんだ人物。ヴィターセクは1791年、モーツァルト生前のプラハでもこの曲を演奏しており、1794年の演奏ではコンスタンツェも思い出の涙に包まれた、と先の解説に書いてあった。
モーツァルトの死後、1791年12月にプラハで追悼演奏会が開かれたのも、コンスタンツェが当地のモーツァルトの友人たちや崇拝者たちを見つけて連絡したおかげだという。↓のツイートも参考にしてください。


ここから先はWikipediaやmarimoさんのページ等にも書いてあるが、コンスタンツェは1795年にブルク劇場で歌劇「皇帝ティートの慈悲」を上演し、その幕間にピアノ協奏曲第20番が演奏された。そこでソリストを務めたのがベートーヴェンである。ベートーヴェンは1809年にこの曲の1楽章と3楽章のカデンツァを書いた。現代でもよく用いられている。1842年9月4日には、ザルツブルクのミヒャエル広場(現モーツァルト広場)にモーツァルト像が立てられた際に、除幕式の記念音楽祭でモーツァルトの息子フランツ・クサーヴァーが演奏した。各所で長く愛され、19世紀を通じて演奏されたほぼ唯一のモーツァルトのピアノ協奏曲となったのだ。


モーツァルトのピアノ協奏曲で短調なのは20番と24番のみ。20番の1楽章の開始は、はっきりしたメロディではなく、低音の刻みから。これはこれで文字通り劇的、物語の始まりのようだ。短調のシンフォニー、25番の冒頭も思い出してしまうリズムだが、そこまで荒々しくない。その辺りの上品さと熱いパトスのバランスが良いから、すぐに多くの人に好かれるのだろう。歌うようなピアノのソロの入りも美しい。この数音だけで、ああクラシック音楽を好きで良かったと思わせられる。2楽章も、独奏者によっては、どこまでもどこまでも自由に歌いたくなってしまうような、圧倒的な旋律美がある。そこに割って入ってくるト短調、熱い。夢のような歌の時間はいつまでも続かないぞと教示してくれるように現れる嵐。ここでもそんな人生のバランス感覚のようなものを見る。
ピアニストの弘中孝さんが、1975年にマタチッチ指揮N響とこの曲を演奏したときのことを振り返って、AtlusのCD解説に寄せた文章で「巨匠マタチッチの思い出」と題し、次のように語っている。

マエストロの音楽は、要所での第1拍目がじつに明快に示されて、曲の中に大きな柱が見えているような安定感を感じたことをいまでもよく覚えています。(中略)わたしは、この曲をモーツァルトの作品のなかでは、非常にドラマティックに感じていて、後のロマン派を予見させているように思うのですが、マエストロの太い柱は、自分をわずかでも古典派のほうへ引きもどしてくれたように感じます。

このような感覚は、僕も何となくわかる。この曲はロマン派の時代へ羽ばたいていくような情熱も持ち合わせながら、古典派的なしっかりと地に足付けた柱のようなものもある。ベートーヴェン作のカデンツァを聴くと、やはりロマン派に近づくようなものを持っているし、3楽章なんかもはやベートーヴェン的(と言っていいのか)ですらある。19世紀を通じて演奏されたのも、そんなところに理由があるようにも思う。モーツァルトはそんなことを思ってはいないだろうが、少し未来志向。短調の曲だからといって後ろ向きでもなんでもなく、未来を向いている音楽なのだ。そう言えば長調に転調した際の美しさも群を抜いて素晴らしい。ロマン派向きの古典派、未来向きの今、ということで良いのではないでしょうか。

Piano Concertos
Yorck Kronenberg (アーティスト), Capriccio Barockorchester (アーティスト), & 3 その他


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