ツェムラー ディソナンスの蛹化:ゴキゲンな蝶になって……

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ツェムラー ディソナンスの蛹化

打楽器をメインにした曲について書くのは久しぶりだ。いつぶりだろう、ギリングハムぶりかな。もう覚えていないや。他にも書いたかなあ。一応僕は打楽器経験者なので、今もごくたまに打楽器アンサンブルの曲を聴いたりするけど、最近は特に惹かれるものに出会うこともない。これは多分、曲の方に原因があるというより、僕自身が打楽器への興味を失っていっているだけだと思う。打楽器のための音楽という分野は、自分で演奏しない人が興味を持つことは、他の楽器やジャンルに比べて限りなく少ないと思われる。もちろん、特定のパフォーマーのファンはそれなりにいるだろうが、「聴き専」の音楽ファンで打楽器のための音楽を熱烈に愛する人はあまり見かけない。僕だって自分がやるから聴いていたのであって、今はいわゆるE-Musikとして書かれた打楽器音楽を積極的に聴く気が起きないのが本音だ。僕が今は打楽器演奏に情熱が無く、ドラムだって本当に頼まれたときだけやるくらい、今年はどうしてもと言われ仕方なくVaundyのコピーのヘルプをしたけども(存外に楽しかったけども!)、コンサート系楽器、という言い方で良いのかしら、そういう打楽器演奏に関しては、今の所やる気は一切ない。


でもポピュラー寄りなら、色々な打楽器メインの録音を楽しんで聴いている。先日もTwitterで書いている「土曜の夜はクラシック以外の音楽の話」シリーズでコンガ奏者/歌手のポンチョ・サンチェスを挙げたけど、今回ブログで取り上げるのはフベルト・ツェムラー(Hubert Zemler, 1980-)、ポーランド生まれのドラマー、パーカッション奏者である。ジャズや即興演奏、ポピュラーのサポートなども行なう、同国インディーズシーンで活躍するミュージシャンだ。
そんなツェムラーが「20世紀を通じて、パーカッションの音が徐々に解放されていった」ことをテーマにして自作自演した曲が、この「ディソナンスの蛹化」(Pupation of Dissonance)である。2016年作。この曲を表題曲として収録している記事冒頭に貼ったアルバムでは、ツェムラーはライヒの「木片のための音楽」とノアゴーの「波」も録音している。


Dissonanceは一般的に音楽では「不協和音」と訳すのだろう。不協和、不調和、不一致、耳障り、といった意味だ。打楽器の音で「和音」というのも少し違うかなと思い、とりあえず「ディソナンス」にしてみた。こういう「カタカナと漢字」ってかっこよくない? ディオニュソスの祭、とか。ハイペリオンの没落、とか。ロスジェネの逆襲、とか? あと何があるかな、カールスモーキー石井とか? もうやめましょう。かっこいいタイトルに騙されて誰か一人でも聴いてみてもらえたら僕は嬉しいんですけど、どうでしょう、誰かよろしくね。
全4楽章、Stage OneからStage Fourまでアタッカで演奏される。ツェムラーが一人でドラムほか様々な打楽器を演奏しているが、2楽章ではMałgorzata Sarbakが演奏するハープシコードも入り、4楽章はシンセサイザーも重ねている。
頭から順に「20世紀の(西洋)音楽における打楽器」を振り返るような内容になっている。初めはオーケストラの付属品としての価値が主だったものが、そこから解放され、自身だけで「芸術性」を認められるようになっていく。音楽家が求めた音、打楽器が求められてきた音、それをメタな視点で描くこの音楽に、ツェムラーは「蛹化」と名付けた。上手いこと言うものだ、確かに大分成長して蛹になったような気がする。
クセナキスの作品を彷彿とさせる場面もあるし、どうしたってこの形態でリズムの強調が無い訳はないのだが、リズム以上にソノーレに耳が喜ぶ。これはツェムラーの他のアルバムを聴けば納得すると思う。鍵盤打楽器の音とチェンバロの音の重なりも面白い。ヴォーン=ウィリアムズがチェンバロを「ミシンの音」と言ったのを思い出す。

もちろん異国情緒だって感じられる。確かに20世紀の打楽器音楽の幾つかは、そういう面が強かったかもしれない。あ、そう言えば、西洋音楽は植民地支配云々というのも最近ちょっと話題になったなあ。音楽が音楽を支配するということと、打楽器という世界中何処にいっても最も原初的な音を出す楽器を、並べて考えてみる。最後の楽章には電子音も入って、ライヒのサンプリングのようだ。まさに20世紀の打楽器における現代音楽はこうして蛹になったなと、もう動かないのに、中では何かが蠢いているんだよなと、そんなことを思う。
しかし曲の終わり方から考えても、まだ羽化していないのが打楽器のディソナンスなのだ、という風にも、勝手に納得してしまう。これから蝶になるのか、果たして。

“Pupation of Dissonance”の前作にあたるアルバム“Gostak & Doshes”(2014)の日本語レビューを発見したのでリンクを貼っておこう。こちらは実験/即興シーンの文脈で紹介されている。聴いている人はいるもんだなあ。そして書く人もね。


このブログはクラシック音楽ブログだけど、気になった現代音楽は結構取り上げているつもりなので、興味がある方は探して読んでみてください、まあ、あんまりいないと思いますが……そういう記事は極めてアクセスが少ないんだよ(笑) あの、新ウィーン楽派とか、20世紀の音楽は一応古典の範疇ということにしてて、それよりももっともっと現代に近い作品について書いている記事のことですからね。最近書いたのだとアルベルガの曲(2019年作)や、ハッチの曲(2000年作)、ザバの曲(2019年作)など。読んでね!

今回のツェムラーの音楽も、彼の広い活動の極一部であるにも関わらず、クラシック音楽好きにも刺さるような着眼点があって、凄いなあと思ってしまう。つまらない打楽器作品、つまらない現代音楽だって世の中には沢山あるし、別にこの曲だって刺さらない人の方が多いとは思うけどね。でも、こうやって打楽器のディソナンスを時系列に沿って俯瞰する行為には一定の価値があると思うし、今でなければできない、現代の音楽だからこそやれる、面白い試みだと思う。この中のどこかの瞬間に、ふと、心に何か刺さるような響きが見つかったら、ぜひそれを大切に留めて、そこから探ってみてほしい。きっと楽しい打楽器の音楽の世界、楽しい現代音楽の世界が、あなたを待っていることだろう。そんな人が増えたとき、そのときこそが羽化のタイミングなのかもしれない。そうしたら打楽器の音楽は、現代音楽は……ゴキゲンな蝶になって、きらめく風に乗って、今すぐ、キミに会いに行けるんじゃないかな?

Pupation Of Dissonance
Hubert Zemler


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Author: funapee(Twitter)
都内在住のクラシック音楽ファンです。コーヒーとお酒が好きな二児の父。趣味は音源収集とコンサートに行くこと、ときどきピアノ、シンセサイザー、ドラム演奏、作曲・編曲など。詳しくは→more

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